2020年02月11日
ロードバイク歴6年目にしてペダリングの致命的な間違いを思い知り、荒サイ走り(修行)の結果と所感を備忘録することにしたの巻
実はもう書き始めているのだが(笑)、なぜ私が荒川サイクリングロード(※以下「荒サイ」と表記)をロードバイクで週2回、計100キロトレーニング走行し、かつ、その結果と所感を都度備忘録するに至ったのか、その訳、および、始まりについて、始まりとなった日付に記しておく。
先ず、私が「トレーニング」以前に、「普通」にロードバイクに乗るようになったのは、6年前の2014年、齢47の春のことである。
当時、私はクロスバイクに10年来乗っており(今でも乗っている)、同じスポーツ自転車でもより速く、より遠くまで走れるロードバイクに想いを馳せていた。(笑)
前年の師走、クロスバイクを買ったワイズロードで年一の大試乗会があり、当時BMCのブランドマネジャーを務めていたザック・レイノルズさんと出会った。
「(あなたのような素人は)SLRのような『速い』バイク(フレーム)ではなく、GFのような『疲れにくい』バイクを選ばなくてはダメ。走って疲れてしまっては元も子もない」。
営業マン出身(笑)の私はザックさんのこの断言セールス(?・笑)に甚く感動し、(BMCの)GFが脳裏から離れなくなった。
そして、翌年の3月、クロスバイクの面倒を見てくださっていたN店長に、トップグレードのGF01の他店在庫を確保いただき、一晩検討して買った。
話は前後するが、そもそも私がクロスバイク、というか、自転車によく乗る(ようになった)のは、齢30半ばを過ぎ、生活習慣病に苛まれるようになったことが始まりである。
私は経営コンサルタントだが、基本デスクワークである。
しかも、拠点が自宅のため、痛勤(笑)しない。
生活習慣病の罹患は、中年の肉体劣化に運動不足が追い打ちをかけた格好、言わば当然の帰結である。
また、私はガン家系である。
当時、両親と死別するは、以前、死にかけたりもしたが、人生そのものには概ね満足していた。
そのため、死ぬこと自体は嫌ではなかった(し、今もそう思っている)が、身の回りのことが自分でできず、人に、特に家族に面倒を見てもらわなければ生きていけなくなるのは絶対に嫌だった。
運動不足の足しに、先ずジムに通った。
近所に区営のジムがあり、そこに基本週一&二時間通った。
間もなくして体脂肪が一桁になるなど、初めてのジム通いは思いのほか面白かったが、いかんせん前後の移動と着替(入浴)の時間が馬鹿にならず、新米起業家には負担だった。
そこで思いついたのが自転車だった。
仕事柄、また、日々の生活上、物理的な移動は欠かせない。
であれば、そのアシに極力自転車を使えば、運動不足の足しにもなり、一石二鳥ではないか。
私はこう考え、最初は家にあったママチャリに、やがてはより速く、安定して走れる「大人のママチャリ」ことクロスバイクに、遂には先述の通りロードバイクに、乗るようになった。
ようやく手に入れたロードバイクを、私が「普通」に(だけ)ではなく、「修行」と銘打ち「トレーニング走行」で乗るようになったのは、「普通」に乗り始めて3ヶ月後、思いのほか速く走れるようにならない自分に業を煮やした(笑)ことが始まりである。
思い返すに情けなく、また、浅はかなことこの上ないが、それまで私は、ロードバイクに乗れば、否、ロードバイクに乗りさえすれば、速く(そして、遠くまで)走れるものと思い込んでいた。
プロロードレーサーの祭典である「ツール・ド・フランス」では、選手が「普通」に50km/hで走っており、アマの私も「普通」に(笑)30km/h程度で巡航できるものと思い込んでいた。
たしかに、瞬間的には30km/h、および、それ以上出せなくもないが、あくまで瞬間芸(苦笑)だった。
巡航など、余程追い風に助けられなければ無理だった。
そこで思いついたのがトレーニングだった。
ロードバイクであれ何であれ、自転車の「エンジン」は乗り手の人間である。
人間がダメなら、速く走れる道理がない。
「エンジン」の自分を鍛えなければ。
私はこう考え、近所に在り、街中より格段に安全、かつ、ノンストップで走れる荒川の河川敷、通称「荒サイ」を「修行」と銘打ち(笑)週2回、計100キロトレーニング走行するようになった。
ちなみに、修行の中身は、片道20キロをペース走で往復することである。
起点は扇大橋が基本だが、場所柄、路面が大雨で冠水したり、土手の雨水で水浸しになることがままあり、終点、および、経路は都度変更している。
身体負荷は、ラストスパートを除き、マックスの7掛けが目安である。
具体的には、ケイデンス(※1分間にペダルを回す回数)が85rpm辺りで、心拍数が130bpm辺りである(からして、結果、大体車速は25km/h、片道を1時間、往復を2時間かけて走ることになる)。
往路を完走すると年齢上(笑)トイレ休憩するが、それ以外ノンストップである。
以上、言葉で説明すると一見ラクだが、かなりの割合で「荒サイ峠」も出現するからして、この身体負荷で2時間ペダルを回し続けるのは結構、というか、かなりキツイ。
正に修行である。
修行の結果と所感を都度備忘録するようになったのは、本記事の投稿日、細君のクロスバイクとロードバイクを面倒みてくださっているバイシクルセオのペダリング講習会(powerd byミノウラ&フカヤ)に参加したことが始まりである。
当時私は、修行を6年重ね、ソコソコ(笑)速く走れるようになり、また、生活習慣病の最たるである腰痛が激減する等、主眼である運動不足の足しも最低限クリアしている感があった(笑)が、いかんせん我流一本槍のため、サイクリングの基本を等閑にしていないか、最悪、間違えていないか、内心不安だった。
ペダリングはサイクリングの基本中の基本であり、これ幸い(笑)と細君共々参加した。
不安は的中した。
講習会は、受講者が実際に一人ずつミノウラの3本ローラーに乗り、それを販売代理店のフカヤのスタッフ(※元実業団選手)が個別指導する形態で、私は致命的とも言える間違いを指摘された。
私はペダリングを間違えていた。
私はペダルを「回す」のではなく、「(力任せに)踏み」「漕いで」いた。
そもそもサドルが高過ぎることに加え、左肩が(挙句、上体が左に)落ち気味で、左足は「踏み込んでいる」に等しかった。
当然、ペダリングの効率(=路面駆動力/筋出力)は低く、後輪が左外側へ逃げがちで、無駄に体力消耗していた。
道理で修行中、手がしびれたり、直進に往生したり、後半バテる訳だった。
そこで思いついたのが修行の結果と所感を備忘録することだった。
結果を所感共々言葉で振り返ることで、自分を客体化し、我流一本槍のリスクを減らせるのではないか。
私はこう考え、修行の都度、先ずはメーラーの下書きに(笑)、6ヶ月後にはこのように自社のホームページに、備忘録するようになった(※後にメーラーの下書き分も清書のうえ。笑)。
いつまで続けられるかは神のみぞ知るところだが、身の回りのことが自分でできる内は続けたい。
ロードバイクに乗っていなければ、今のクオリティ・オブ・ライフはない。
私はロードバイクに出会えて、そして、修行を筆頭にロードバイクライフを正確、かつ、ハートフルに支えてくれる4人のプロフェッショナルに出会えて、幸せである.。
先ず、私が「トレーニング」以前に、「普通」にロードバイクに乗るようになったのは、6年前の2014年、齢47の春のことである。
当時、私はクロスバイクに10年来乗っており(今でも乗っている)、同じスポーツ自転車でもより速く、より遠くまで走れるロードバイクに想いを馳せていた。(笑)
前年の師走、クロスバイクを買ったワイズロードで年一の大試乗会があり、当時BMCのブランドマネジャーを務めていたザック・レイノルズさんと出会った。
「(あなたのような素人は)SLRのような『速い』バイク(フレーム)ではなく、GFのような『疲れにくい』バイクを選ばなくてはダメ。走って疲れてしまっては元も子もない」。
営業マン出身(笑)の私はザックさんのこの断言セールス(?・笑)に甚く感動し、(BMCの)GFが脳裏から離れなくなった。
そして、翌年の3月、クロスバイクの面倒を見てくださっていたN店長に、トップグレードのGF01の他店在庫を確保いただき、一晩検討して買った。
話は前後するが、そもそも私がクロスバイク、というか、自転車によく乗る(ようになった)のは、齢30半ばを過ぎ、生活習慣病に苛まれるようになったことが始まりである。
私は経営コンサルタントだが、基本デスクワークである。
しかも、拠点が自宅のため、痛勤(笑)しない。
生活習慣病の罹患は、中年の肉体劣化に運動不足が追い打ちをかけた格好、言わば当然の帰結である。
また、私はガン家系である。
当時、両親と死別するは、以前、死にかけたりもしたが、人生そのものには概ね満足していた。
そのため、死ぬこと自体は嫌ではなかった(し、今もそう思っている)が、身の回りのことが自分でできず、人に、特に家族に面倒を見てもらわなければ生きていけなくなるのは絶対に嫌だった。
運動不足の足しに、先ずジムに通った。
近所に区営のジムがあり、そこに基本週一&二時間通った。
間もなくして体脂肪が一桁になるなど、初めてのジム通いは思いのほか面白かったが、いかんせん前後の移動と着替(入浴)の時間が馬鹿にならず、新米起業家には負担だった。
そこで思いついたのが自転車だった。
仕事柄、また、日々の生活上、物理的な移動は欠かせない。
であれば、そのアシに極力自転車を使えば、運動不足の足しにもなり、一石二鳥ではないか。
私はこう考え、最初は家にあったママチャリに、やがてはより速く、安定して走れる「大人のママチャリ」ことクロスバイクに、遂には先述の通りロードバイクに、乗るようになった。
ようやく手に入れたロードバイクを、私が「普通」に(だけ)ではなく、「修行」と銘打ち「トレーニング走行」で乗るようになったのは、「普通」に乗り始めて3ヶ月後、思いのほか速く走れるようにならない自分に業を煮やした(笑)ことが始まりである。
思い返すに情けなく、また、浅はかなことこの上ないが、それまで私は、ロードバイクに乗れば、否、ロードバイクに乗りさえすれば、速く(そして、遠くまで)走れるものと思い込んでいた。
プロロードレーサーの祭典である「ツール・ド・フランス」では、選手が「普通」に50km/hで走っており、アマの私も「普通」に(笑)30km/h程度で巡航できるものと思い込んでいた。
たしかに、瞬間的には30km/h、および、それ以上出せなくもないが、あくまで瞬間芸(苦笑)だった。
巡航など、余程追い風に助けられなければ無理だった。
そこで思いついたのがトレーニングだった。
ロードバイクであれ何であれ、自転車の「エンジン」は乗り手の人間である。
人間がダメなら、速く走れる道理がない。
「エンジン」の自分を鍛えなければ。
私はこう考え、近所に在り、街中より格段に安全、かつ、ノンストップで走れる荒川の河川敷、通称「荒サイ」を「修行」と銘打ち(笑)週2回、計100キロトレーニング走行するようになった。
ちなみに、修行の中身は、片道20キロをペース走で往復することである。
起点は扇大橋が基本だが、場所柄、路面が大雨で冠水したり、土手の雨水で水浸しになることがままあり、終点、および、経路は都度変更している。
身体負荷は、ラストスパートを除き、マックスの7掛けが目安である。
具体的には、ケイデンス(※1分間にペダルを回す回数)が85rpm辺りで、心拍数が130bpm辺りである(からして、結果、大体車速は25km/h、片道を1時間、往復を2時間かけて走ることになる)。
往路を完走すると年齢上(笑)トイレ休憩するが、それ以外ノンストップである。
以上、言葉で説明すると一見ラクだが、かなりの割合で「荒サイ峠」も出現するからして、この身体負荷で2時間ペダルを回し続けるのは結構、というか、かなりキツイ。
正に修行である。
修行の結果と所感を都度備忘録するようになったのは、本記事の投稿日、細君のクロスバイクとロードバイクを面倒みてくださっているバイシクルセオのペダリング講習会(powerd byミノウラ&フカヤ)に参加したことが始まりである。
当時私は、修行を6年重ね、ソコソコ(笑)速く走れるようになり、また、生活習慣病の最たるである腰痛が激減する等、主眼である運動不足の足しも最低限クリアしている感があった(笑)が、いかんせん我流一本槍のため、サイクリングの基本を等閑にしていないか、最悪、間違えていないか、内心不安だった。
ペダリングはサイクリングの基本中の基本であり、これ幸い(笑)と細君共々参加した。
不安は的中した。
講習会は、受講者が実際に一人ずつミノウラの3本ローラーに乗り、それを販売代理店のフカヤのスタッフ(※元実業団選手)が個別指導する形態で、私は致命的とも言える間違いを指摘された。
私はペダリングを間違えていた。
私はペダルを「回す」のではなく、「(力任せに)踏み」「漕いで」いた。
そもそもサドルが高過ぎることに加え、左肩が(挙句、上体が左に)落ち気味で、左足は「踏み込んでいる」に等しかった。
当然、ペダリングの効率(=路面駆動力/筋出力)は低く、後輪が左外側へ逃げがちで、無駄に体力消耗していた。
道理で修行中、手がしびれたり、直進に往生したり、後半バテる訳だった。
そこで思いついたのが修行の結果と所感を備忘録することだった。
結果を所感共々言葉で振り返ることで、自分を客体化し、我流一本槍のリスクを減らせるのではないか。
私はこう考え、修行の都度、先ずはメーラーの下書きに(笑)、6ヶ月後にはこのように自社のホームページに、備忘録するようになった(※後にメーラーの下書き分も清書のうえ。笑)。
いつまで続けられるかは神のみぞ知るところだが、身の回りのことが自分でできる内は続けたい。
ロードバイクに乗っていなければ、今のクオリティ・オブ・ライフはない。
私はロードバイクに出会えて、そして、修行を筆頭にロードバイクライフを正確、かつ、ハートフルに支えてくれる4人のプロフェッショナルに出会えて、幸せである.。