2020年02月10日
【邦画】「火宅の人」(1986)
[ひと言感想]
立川談志は落語を「業の肯定」と言ったが、それを地で行ったのが桂一雄の生涯である。
「業の肯定」は「開き直り」であり、「現実逃避」である。
現実に生きる周囲には迷惑千万だが、引き受け手が居ないこともないからこの世は面白い。
なぜ彼、彼女たちは引き受けるのか。
結局、当人を憎み切れないからである。
なぜ憎み切れないのか。
自分にはない非常な無責任さ、純粋さ、人間臭さに、同じ人間として降参してしまうからである。
「業の肯定」は極めてこそ、である。
立川談志は落語を「業の肯定」と言ったが、それを地で行ったのが桂一雄の生涯である。
「業の肯定」は「開き直り」であり、「現実逃避」である。
現実に生きる周囲には迷惑千万だが、引き受け手が居ないこともないからこの世は面白い。
なぜ彼、彼女たちは引き受けるのか。
結局、当人を憎み切れないからである。
なぜ憎み切れないのか。
自分にはない非常な無責任さ、純粋さ、人間臭さに、同じ人間として降参してしまうからである。
「業の肯定」は極めてこそ、である。
kimio_memo at 07:26│Comments(0)│
│映画