2019年03月05日
【邦画】「早春」(1956)
[ひと言感想]
夫婦が「折れべき時に折れない」のは、凡そ「見ている所」が双方違うからである。
オットが兎に角「間違い」を正し、問題を解決したい一方、ツマは先ず「気持ち」を分かち合いたいからである。
しかして、夫婦が「見ている所」を相互理解するには、身内でない、共通の偉人の仲介、指摘が有効な訳である。
「夫婦水入らず」は平時の幻想である。(苦笑)
夫婦が「折れべき時に折れない」のは、凡そ「見ている所」が双方違うからである。
オットが兎に角「間違い」を正し、問題を解決したい一方、ツマは先ず「気持ち」を分かち合いたいからである。
しかして、夫婦が「見ている所」を相互理解するには、身内でない、共通の偉人の仲介、指摘が有効な訳である。
「夫婦水入らず」は平時の幻想である。(苦笑)
【しげ/母(演:浦邊粂子さん)】
どうしたのさ。
【昌子/長女(演:淡島千景さん)】
浴衣取りに来たのよ。
【しげ】
そうじゃないよ。
どうするつもりなのさ。
(ダンナの)杉山さん、明後日発っちゃうんだってよ。
【昌子】
(・・・)
【しげ】
いい加減、もう蒲田(の家)へお帰り。
ヤキモチも大概にしておきよ。
【昌子】
ヤキモチじゃないわよ。
【しげ】
じゃ、何さ。
杉山さん一人で(転勤させちゃ)、気の毒じゃないか。
【昌子】
いいじゃないの。
【しげ】
よかないよ。
お帰りよ。
【昌子】
帰んないわよ。
【しげ】
行っちゃうんだよ、杉山さん。
【昌子】
いいわよ。
ほっといてよ。
【しげ】
だけどさ、夫婦ってそんなもんじゃないよ。
杉山さんだって、重々悪いと思ってんだもの。
折れべき時に折れないとね、取り返しのつかないことになりますよ。
【昌子】
(・・・)
kimio_memo at 06:55│Comments(0)│
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