【人物評】「三文役者の死 正伝殿山泰司」新藤兼人さん【洋画】「ターミナル/The Terminal」(2004)

2018年04月09日

【邦画】「醉いどれ天使」(1948)

[ひと言感想]
数少ない、母方の祖母にたしなめられたことの一つは、凡そ小学生時分、「太く短く生きる」との戯言に対してである。
この戯言をのたまった理由は記憶していないが、単に何かの受け売りで、明確な意思は無かったと思う。
なぜ祖母は、そんな戯言を、しかも、可愛い孫の(笑)のそれを、たしなめたのか。
見過ごせなかったのか。
今、当時の祖母の約一回り下になって推量するに、祖母にとって「太く短く生きる」のは、意思の如何を問わずあり得なかったのだろう。
母から生前よく聞かされたのは、祖母は農家の比較的良家に生まれたが、祖父に嫁いでからというもの、戦争もあり、家(族)を守るのに絶えず必死だった、ということである。
そのエピソードの最たるは、毎晩(真岡から)宇都宮までヤミ米をリヤカーで持って行っていたこと、ならびに、その折一度お巡りに見つかったものの、事情共々懇願し、見逃してもらったこと、である。
そんな「『明日を生きる』あり難さ」を実体験した祖母にとって、「太く短く生きる」という[人生選択]、即ち、[オプション]はあり得ず、孫の戯言でも許せなかったのだろう。

本題に入り、三船演じる街の「裏の」顔役、松永である。
なぜ松永は、当初、真田医師の養生のススメに耳を貸さなかったのか。
手遅れになるまで、改心できなかったのか。
「太く短く生きれば上等」と粋がってのことだが、ではなぜ粋がったのか。
粋がれたのか。
根本は、若かったからである
そして、終戦し、人生を粗末にする選択、即ち、「太く短く生きる」オプション、があり得たからである。
「人生を粗末にすべきでない」のは万人が認める真理である。
しかし、粗末にしている当人からすると、それがオプションであり得る限りは、いかに他の善人にたしなめられても、切迫を覚えず改心しない、或いは、引っ込みがつかず改心できない、のである。

人間が自由を欲求するのは、根源欲求が長寿と種の保存だからである。
長寿と種の保存を果たすには、自由にオプションを選択するのが有効だからである。
しかし、人間は、自由とオプションを手に入れた挙句、「太く短く生きる」と言い出す始末なのである。
人間の悲劇の元凶は、目的と手段を区別することの根源的な不得手さかもしれない。


醉いどれ天使 [DVD]
出演:志村喬、三船敏郎
監督:黒澤明
東宝
2003-01-21




kimio_memo at 07:00│Comments(0) 映画 

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
【人物評】「三文役者の死 正伝殿山泰司」新藤兼人さん【洋画】「ターミナル/The Terminal」(2004)