2017年11月10日
【経営】「ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム」クレイトン M・クリステンセンさん
P348
第10章 ジョブ理論のこれから
ジョブ理論とともに
数年前にハーバードで(成功する企業の構築と維持)の講義をしているときに、ある学生が挙手をして質問した。学期の半ばがすぎたころで、例年どおりに、学生たちが世界に飛びこむ際の重要まツールとなりうるさまざまな理論を学んでいる時期だった。長年たくさんの質問を受けてきたし、たいていの質問にも答えてきた。だが、この学生には少しばかり狼狽した。「すみません、教授。失礼なことを言うつもりではないのですが、このコースの目的が何か知りたいんです」。目的ははっきりしていると思っていたので、私は驚いた。学生たちのキャリアをすばらしいものにし、個人の生活も充実させ、人生で必ず行き当たるむずかしい決断を乗り越えられるように準備をするのがこのクラスの目的ではないか、と。しかし私はひと晩考えさせてほしいと言った。翌日、その学生だけでなく、私自身も満足できる回答をおこなった。「このクラスでは、『何が原因で何が起こるのか』を説明する理論を学びます。物事の仕組みを知ることには大きな価値があるからね」
本書の狙いもそこにある。イノベーションの仕組み、すなわちイノベーションが成功する本当の理由がわかれば、あなたの努力を運任せにする必要はなくなる。私たちはあまりにも長いあいだ、成功には幸運が不可欠だと信じてきた。ベンチャーキャピタルのように、イノベーションは本質的に一か八かの賭けだという考えのもとで業界全体の組織がつくられているところもある。だが、そうしたパラダイムはそろそろ打ち壊すべきだ。私は20年を費やして証拠を集めてきた。「顧客が雇用したがる」とあらかじめ予測できるプロダクト/サービスにあなたの時間とエネルギーと資源を注ぎこむのだ。賭けに頼るのはほかの者に任せればいい。
「対象顧客が欲しているのは、プロダクト/サービスではない。対象顧客が欲しているのは、意識的、もしくは、無意識的に認識している『片付けるべきジョブ(用事・jobs to be done』を片付けることであり、プロダクト/サービスはそのために金を払って『雇用している』に過ぎない。イノベーションを創造したくば、プロダクト/サービスを直感と情熱にまかせ一気呵成に創り始めるより、先ず対象顧客の『片付けるべきジョブ』を洞察すること。そして、それを片付けることができ、かつ、そう彼らも期待し『雇用する』旨、予測でき得るプロダクト/サービスを創り始めること。この方が、遥かに成功し易くなるし、何より徒労、即ち、人生の無駄を回避できる。人生は短い。人生は自己制御が限定的だが、イノベーションは自己制御が限定的でない」。
このクリステンセン教授の主張は、不遜だが「我が意を得たり」である。
教授の言う「片付けるべきジョブ」を、これまで私は「ニーズ」や「希望する『問題の解決』」と称し、仕事で利用(教示)してきたが、本意、不本意の別なく、人間は生きている限り「仕事」や「用事」と縁が切れないからして、成る程「ジョブ」の方が分かり易いかもしれない。
そして、改めて不遜だが、上記の引用箇所を読む限り、かく言う教授も、対象顧客である学生の「片付けるべきジョブ」をうっかりなさった様うかがえる。
もし教授がうっかりせず、学生の「ジョブ」が満足に片付いていたら、また、その満足感に学生が支配されていたら、彼は敢えて挙手し、講義目的を教授に確かめたりはしなかっただろう。
誤解して欲しくないのだが、私は「言行不一致!」と教授を咎めたいのではない。
私がしたいのは、そして、本件を基にのたまいたい(笑)のは、こういうことである。
「そもそも対象顧客の『片付けるべきジョブ』は何なのか、その彼らの『片付けるべきジョブ』を、果たして自分の創造、提供するプロダクト/サービスは片付けているのか、挙句、彼らは期待が叶い満足しているのか、うっかりしない様、凡人の我々は十二分な留意とシステマチックな確認が欠かせない」。
しかし、なぜクリステンセン教授をして、対象顧客の「片付けるべきジョブ」云々「うっかりする」のだろう。
やはり先ず、対象顧客ではなく、自分の「片付けるべきジョブ」を片付けたくなり、かつ、専ら片付けてしまう。
挙句「うっかりする」、のだろう。
だとすると、先述の「システマチックな確認」は不可欠であることに加え、肝である。
対象顧客の「片付けるべきジョブ」と自分のそれを絶えず同期させるには、即ち、他人事を絶えず自分事と認識するには、個人の属人性だけでは限界がある。
kimio_memo at 07:15│Comments(0)│
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