2017年10月10日
【邦画】「シン・ゴジラ」(2016)
[ひと言感想]
本作品のメッセージの一つは、「非日常に日常的に対応することのナンセンスさ」なのだろう。
実際、ゴジラという最強の非日常に政治がかくも手続きを踏み、日常的に対応したなら、我々の被害はあんなものではないだろう。
とはいえ、ゴジラにしても、出現したのは突然の非日常だが、生育したのは凡そ日常であり、このメッセージは容易ではない。
そう、先ず「非日常と日常の万民共通の分水嶺」の問答を、更に「非日常と日常のそもそもの分離可能性」の問答を迫られるからである。
人間の性の一つは「現状の維持」、ひいては、「変化の否定」である。
然るに、我々が変化の「無い」、または、あっても「乏しい」日常を欲求するのは自然な訳だが、それは当然、命あっての物種である。
「ヘボ将棋、王より飛車を可愛がり」という将棋の格言がある。
「我々は凡そヘボ人間で、命より性を、ひいては、非日常より日常を可愛がる癖がある」。
本作品のメッセージのもう一つは、本事項かもしれない。
本作品のメッセージの一つは、「非日常に日常的に対応することのナンセンスさ」なのだろう。
実際、ゴジラという最強の非日常に政治がかくも手続きを踏み、日常的に対応したなら、我々の被害はあんなものではないだろう。
とはいえ、ゴジラにしても、出現したのは突然の非日常だが、生育したのは凡そ日常であり、このメッセージは容易ではない。
そう、先ず「非日常と日常の万民共通の分水嶺」の問答を、更に「非日常と日常のそもそもの分離可能性」の問答を迫られるからである。
人間の性の一つは「現状の維持」、ひいては、「変化の否定」である。
然るに、我々が変化の「無い」、または、あっても「乏しい」日常を欲求するのは自然な訳だが、それは当然、命あっての物種である。
「ヘボ将棋、王より飛車を可愛がり」という将棋の格言がある。
「我々は凡そヘボ人間で、命より性を、ひいては、非日常より日常を可愛がる癖がある」。
本作品のメッセージのもう一つは、本事項かもしれない。
kimio_memo at 08:34│Comments(0)│
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