2017年10月05日
【洋画】「裏窓/Rear Window」(1954)
[ひと言感想]
我々人間は「見たい」、「知りたい」生き物である。
悪趣味のそしりを超える理屈が在れば、「見たい」、「知りたい」のである。
「(見れば見れたモノを)見なかった」、「(知れば知れたコトを)知らずに終えた」ことに因る有形無形の不利益を回避したいから、本質的には、後悔を最小化したいからなのだろう。
そして、我々は、時に主人公の如く命懸けで「見る」、「聞く」訳だが、結局、その過半は「大事の見誤り」、「勘違い」で終わる。
しかし、たしかに、同じく時に主人公の如く、勘違いではなく手柄を果たす場合もある。
これをして悪趣味、小心の性を満更でもなく思うのは、これまた勘違いなのだろうが(笑)、我々が時に為す善(行)はそうした不善の性の賜物なのだろう。
我々人間は「見たい」、「知りたい」生き物である。
悪趣味のそしりを超える理屈が在れば、「見たい」、「知りたい」のである。
「(見れば見れたモノを)見なかった」、「(知れば知れたコトを)知らずに終えた」ことに因る有形無形の不利益を回避したいから、本質的には、後悔を最小化したいからなのだろう。
そして、我々は、時に主人公の如く命懸けで「見る」、「聞く」訳だが、結局、その過半は「大事の見誤り」、「勘違い」で終わる。
しかし、たしかに、同じく時に主人公の如く、勘違いではなく手柄を果たす場合もある。
これをして悪趣味、小心の性を満更でもなく思うのは、これまた勘違いなのだろうが(笑)、我々が時に為す善(行)はそうした不善の性の賜物なのだろう。