【洋画】「マイノリティ・リポート/Minority Report」(2002)【洋画】「ナイト・アンド・ザ・シティ/Night and the City」(1992)

2017年06月15日

【洋画】「レナードの朝/Awakenings」(1990)

[ひと言感想]
メディアや有識人が「格差」を否定的に取り上げるようになり久しいが、格差は広がる一方である。
当たり前である。
彼らが否定的に取り上げるのは単に「建前」、「ファンサービス」であり、肝心の増幅装置の資本主義がグローバル化により加速一辺倒なばかりか、我々自身、完全には否定していないのだから。
「(自分より)上(の人間)を見るな。下を見ろ」。
これは祖母の生前の耳タコ言葉の一つだが、悲しいかな真理である。
我々は、格差が嫌なのではなく、格差の下に位置する自分が嫌なのである。

なぜ、我々は格差の上に位置する自分が嫌でないのか。
根因は「(人間)本懐の自己肯定が促されるから」だが、近因は「安堵が促されるから」である。
我々は「蝉の一生は短い」と、蝉に同情するが、そのココロは、寿命ランキングの上に位置する人間に生誕した安堵である。

だから、我々の多くは「レナードの朝は余りに少ない」と、レナードに同情したであろうし、私自身、全くしなかった訳ではないが、そのココロは、レナードの罹患した難病を罹患せずに済んだ安堵であり、当のレナードからすれば偽善、ないし、「大きなお世話」である。
レナードも、蝉も、我々の多くと比べれば迎えた朝は少ないが、それぞれは有意であり、決して無駄ではない。
もし無駄と断じるなら、それは正に上から目線の傲慢である。

「ナポリを見てから死ね」と言うが、我々は一度ナポリを見ると、もう一度見たくなるものであり、また、別のナポリを見たくなるものである。
長い眠りから覚めたレナードの、一度ナポリを見てしまったがゆえの未練と後悔、そして、不幸は在ったに違いない。
しかし、人生の満足は、セックスのそれと同様、迎えた朝の「数」ではなく「咀嚼」に依存する。
盟友セイヤーと出遭い、心を交わして迎えた朝を、レナードは我々と比べ物にならない位噛み締め、堪能したに違いない。


レナードの朝 [SPE BEST] [DVD]
出演:ロバート・デ・ニーロ、ロビン・ウィリアムズ
監督:ペニー・マーシャル
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2015-12-25




【レナード(演:ロバート・デ・ニーロさん)】
先生は汚い。

【セイヤー医師(演:ロビン・ウィリアムズさん)】
私と何の関係が?

【レナード】
仕事づけで人生を生きてない。
目覚めていないのは、あんただ。




(※セイヤーが自室で、レナードが長い眠りから覚めた時のビデオを再生、観賞している)

【レナード】
僕はレナード・ロウ。
長い間、僕はここを離れていたらしい。
でも、戻った。

【セイヤー】
どんな気分?

【レナード】
最初は夢かと思った。

【セイヤー】
なぜ、現実と分かった?

【レナード】
先生と話せたからさ。

(※エレノア看護師が入室し、セイヤーがビデオを観賞しているさまを見る)

【セイヤー】
(エレノアに向かって)
私は酷い人間だ。
彼(=レナード)に人生を与え、また奪ったんだ。

【エレノア(演:ジュリー・カブナーさん)】
誰もが与えられて、奪われるわ

【セイヤー】
それでも悲しい。

【エレノア】
先生は優しいから。
彼は友だちだから。


kimio_memo at 07:23│Comments(0) 映画 | -ロバート・デ・ニーロ出演作

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