2017年04月24日
【BSTBS】「SONG TO SOUL 永遠の一曲」Derek and the Dominos”Layla”〔解説〕パティ・ボイドさん
【ナレーション】
(エリック・クラプトンは、)ジョージ(・ハリスン)とは、パティ(・ボイド)のことで傷付け合うこともあったが、その死まで、友人として親しい関係を保ち続けた。
【パティ・ボイドさん】
私は鏡になった気分だわ。
彼らが私を見る時に見ていたのは、彼ら自身よ。
【インタビュアー】
エリックはあなたのどんな部分を見ていた?
【パティ・ボイドさん】
セクシー(な部分ね)。(笑)
【インタビュアー】
ジョージは?
【パティ・ボイドさん】
スピリチュアル(な部分よ)。
「ジョージが虜になったのは、私の精神面で、後年エリックが虜になったのは、私のセックスだろう。だが、いずれも所詮『入り口』で、『出口』は彼ら自身、つまり自己だろう」。
ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの元妻、パティ・ボイドさんの述懐は成る程であり、また、深い。
近年、「ゲス不倫」の言葉が流行るなど、日本では不倫を否定的に評価する「向き」が強まっているが、二大音楽家を虜にし、かつ、彼らに不朽の名作を多々書かせしめた、あるいは、それらの「生みの苦しみ」を肩代わりしたパティさんからこんな話を聞かされると、以下結論付ける他ない。
【1】不倫の如何を問わず、恋路は、人生と同様「いろいろ」であり、互いを求めるほか「生き物として潰れてしまわない」術がなければ、自己責任を覚悟し歩む以外ない。
【2】然るに、他人の恋路のてん末とその本当の効用、不効用は当事者にしか分からないし、社会的な効用、不効用も後世しか分からない。
【3】然るに、他人の恋路を一時的かつ表層的に見、「ゲス」と評するのは無理がある(→が故、他人の恋路を矢鱈否定的に評し、邪魔するヤツは馬に蹴られて死ぬのが自然である。笑)。
【4】然るに、本当にゲスなのは当事者ではなく、「向き」の主体であり、かつ、「似非」聖人君子&全人格主義で嫉妬深い、我々小市民である。
パティさんに言われて改めて成る程だったのは、たしかに「入り口」だったかもしれないが、クラプトンがパディさんのセックスの虜になり、また、パティさんもそれを受け入れたこと。
小市民がもっとゲスに勘ぐれば(笑)、クラプトンがジョージより一足遅く、しかし、ジョージより一足(?・笑)熱くパティさんに発情し、パティさんもそれに応えたこと、である。
大ヒット小説&映画の「失楽園」は勿論フィクションだが、作中で描かれている「セカンド・ラブ」ないし「ポスト結婚」の恋路、および、肉欲の「始末の悪さ」は身に覚えがなくはない。(笑)
なぜ、当事者は「セカンド・ラブ」ないし「ポスト結婚」の恋路、および、肉欲の「始末の悪さ」、もっと言えば、「高コストとリスク」、を肯定してしまうのか。
否、拒めないのか。
それらの恋路の本懐が、人間の根源欲求の一つである「DNAの拡散」だからだろう。
企業は「法人」である。
企業の、本来の意味における「リストラ」や「イノベーション」は、「法人」との「生き物」として辛うじて潰れていない現状を、コストとリスクをかけて否定、ガラポンする(必要がある)点で、「セカンド・ラブ」ないし「ポスト結婚」の恋路に通底する。(笑)
だとすると、とりわけ日本の企業が依然リストラにも、イノベーションにも往生しているのは、その敢行の「始末の悪さ」の「出口」が人間の根源欲求に繋がっていないからか、繋がっていても優先順位が低過ぎるからか、のいずれかとも考えられる。
我々は「始末の悪さ」そのものが嫌なのではなく、根源欲求に繋がる出口の「ない」、もしくは、「見えない」「始末の悪さ」が嫌なのである。
★2017年4月9日放送分
http://www.bs-tbs.co.jp/songtosoul/onair/onair_118.html


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