2016年10月19日
【洋画】「GODZILLA」(1998)
[ひと言感想]
本作品のメッセージの一つは、「問題は、そもそも解決するものではなく、抑止すべきものである」ということだろう。
たしかに、人類連合軍(?・笑)が親ゴジラを仕留め、子ゴジラの殆どを始末したのは歓喜と安堵だが、そもそもゴジラを世に招いたのは人間だ。
ゴジラに限らず、世の問題の殆どは人間の自業自得であり、解決以上に抑止でき、かつ、すべきだ。
メッセージのもう一つは、「一旦招き、顕在化させてしまった問題を根源的に解決するのは、考えるより遥かに難しく、十二分な事後検証が必要である」ということだろう。
一匹の子ゴジラの孵化を許したのは、大勢の子ゴジラと親ゴジラを始末したがゆえの楽観であり、「だろう運転」ならぬ「だろう検証」の帰結だ。
たしかに、楽観は必要「悪」であり、人間は楽観せずに生きられない。
「悪」の致命傷化を抑止する十二分な事後検証が、個人にも社会にも必要だ。
本作品のメッセージの一つは、「問題は、そもそも解決するものではなく、抑止すべきものである」ということだろう。
たしかに、人類連合軍(?・笑)が親ゴジラを仕留め、子ゴジラの殆どを始末したのは歓喜と安堵だが、そもそもゴジラを世に招いたのは人間だ。
ゴジラに限らず、世の問題の殆どは人間の自業自得であり、解決以上に抑止でき、かつ、すべきだ。
メッセージのもう一つは、「一旦招き、顕在化させてしまった問題を根源的に解決するのは、考えるより遥かに難しく、十二分な事後検証が必要である」ということだろう。
一匹の子ゴジラの孵化を許したのは、大勢の子ゴジラと親ゴジラを始末したがゆえの楽観であり、「だろう運転」ならぬ「だろう検証」の帰結だ。
たしかに、楽観は必要「悪」であり、人間は楽観せずに生きられない。
「悪」の致命傷化を抑止する十二分な事後検証が、個人にも社会にも必要だ。