【第65期王将戦/第三局】郷田王将、チャンスを見落とし、羽生挑戦者、復位&五冠に王手【人間学】「フォーカス」ダニエル・ゴールマンさん

2016年02月09日

【邦画】「トキワ荘の青春」(1996)

[ひと言感想]
私は本作品を見るまで、寺田ヒロオという漫画家を知らなかった。
寺田氏が断筆を決心した真相は分からないが、彼がファンの子どもに「自分は、劇中の人物のような立派な人間ではない」と言ってサインをしているシーンを見るに、また、「野球選手か教師に成りたかったようだ」との検索動画での令嬢の証言から推量するに、彼は本質的には漫画家ではなく、教育者を目指していたように思う。



寺田氏は、「立派でない」自分を熟知、痛感、嫌悪し、同様の人間の社会的拡大再生産がどうにも許せなかった。
そして、漫画という「敷居の低い」表現手段を使い、子どもを、ついには社会を、然るべき方へ啓蒙したかった、ように思う。

ただ、残念ながら、漫画家に限らず、ビジネスで所謂成功を収めるには教育者を目指すべきでない。
なぜか。
ビジネスでの所謂成功には、相応量の知的弱者、端的に言えば「バカ」を必要とし、かつ、食い物にする必要があるからだ。
たとえば、スーパーが日替わりでセールを実施しているのは、商圏に「バカ」客が相応に存在し、かつ、彼らが機会費用や経済合理性を勘案せず、脊髄反射的に来店するのが相応に見込めるからだ。
寺田氏は教育者を目指しただけに「バカ」ではなかったに違いないが、却ってなまじっか「バカ」ではなかっただけに、「『漫画家としての』終わりの始まり」を真摯かつ積極的に敢行、貫徹してしまったように思う。

しかし、私のこの不遜な推量は、寺田氏の決心、人生を否定するものではない。
なぜか。
かつて島倉千代子と小泉純一郎の両氏が世に唱えたように、「人生色々」、更には、「成功も色々」だからだ。
実際、もし寺田氏がトキワ荘に先住し、面倒を見なければ、漫画家藤子不二雄、赤塚不二夫の成功は無く、「ドラえもん」も」「天才バカボン」も世に出なかったように思うし、また、私を含め、そんな寺田氏の兄貴分かつ聖人的人生に共感や感心を覚える日本人も少なくないように思う。
「人生におけるビジネスの成功とは何なのか。はたまた、そもそも成功とは、人生とは何なのか」。
私は、初めて見知った寺田氏とその公になっている人生から、これらの大事な問いを改めて自分に課したが、先ずは近日、彼の生前の作品を読みたいと思う。


トキワ荘の青春 [DVD]
出演:本木雅弘、鈴木卓爾、阿部サダヲ、大森嘉之、きたろう、桃井かおり
監督:市川準 
VAP,INC(VAP)(D)
2009-10-28




■2016年2月15日追記/参考情報

P242
”あとがき”のまた”あとがき”

(前略)

十五年前に『トキワ荘青春日記』を出したころ、元気いっぱいだった手塚(治虫)先生も、あの寺さんこと寺田ヒロオ氏も、もうこの世にはいません。ぼくにとって、このお二人の死去は衝撃的でした。手塚先生は、はるか上に仰ぎ見る漫画のムーン山でしたし、寺さんは人生の上でのたのもしい兄貴だったから。

四十年前、手塚先生がトキワ荘の敷金をそのままにして、おいていかれなかったら、ぼくたちはトキワ荘へは入れなかった。また入居してから、寺さんに部屋代を貸してもらえなかったら、きっと途中でトキワ荘を出てたでしょう。モチロン、お金のことは二の次にして、このお二人からうけた精神的恩恵は、それはそれは大きなものです。

ぼくたちのグループの中では、寺さんが一番最初にトキワ荘を出ました。中村八大氏の妹さんだった旺子さんと結婚し、新居へ移ったのです。寺さんが結婚し、トキワ荘を出てから、少しずつつきあいが遠くなっていきました。その後寺さん夫婦は茅ヶ崎に移ったため、ますます会うことが少なくなっていきました。寺さんは「背番号0(ゼロ)」や「スポーツマン金太郎」など野球漫画で大ヒットをとばし、大人気漫画家になったのに、茅ヶ崎へ移ってしばらくしてから、急にペンを折ってしまったのです。この突然のリタイヤについて寺さんは、ぼくたちに一言もいいませんでした。察するに、寺さんは自分のみとめることのできない漫画と同じ雑誌にならんで自分の漫画が掲載されることが許せなかったのでしょう。その後、しだいに寺さんはぼくたちとも距離をおいて遠くへいくようになりました。ぼくたちも仕事に夢中になっていたころなので、ついつい茅ヶ崎へ遊びにいくことも少なくなっていきました。



今から五年前、久しぶりにいこうか、ということになって、藤子・F・不二雄、鈴木伸一、石ノ森章太郎とぼくの四人が茅ヶ崎の寺さんのお宅を訪問しました。寺さんは大いに喜んでくれたので、ぼくたちはガンガン飲んでさわぎました。さすがにチューダーは出ませんでしたが、その盛り上がりは四十年前のトキワ荘の宴会とかわりませんでした。寺さんも、若干白髪がふえたぐらいで、好男子ぶりは昔のまま。いかにも楽しそうニコニコとぼくたちの馬鹿話を聞いていました。

十時近くになったので、帰ることにしました。寺さんは門の前まで出てきて、温顔で見送ってくれました。寺さんのお宅の前は長い通りになっています。その途中、何度振り返っても、寺さんは手を振っています。とうとう角をまがるとき、ぼくが振りかえると、もう小さな影になった寺さんが、まだ手を振っていました。そのときぼくは、なにかこれが寺さんとの最後の別れのような気がしたのです。

あとで奥さんに聞いたのですが、その次の日、奥さんに寺さんは「これで思いのこすことはない」と言ったそうです。

そのあと寺さんは、「ぼくらが電話をかけても、いっさい出ようとはしませんでした。

そして、一年後、寺さんは亡くなりました。その報せを聞いたとき、なぜかぼくは「ああ!やっぱり・・・」と思いました。そして、あの茅ヶ崎のお宅の前で、いつまでも手を振って別れをつげていた寺さんのシルエットが浮かんできて、涙がとまりませんでした。

(後略)







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