【洋画】「007 スペクター/Spectre」(2015)【洋画】「マッドマックス/Mad Max」(1979)

2015年12月01日

【旅行/顧客サービス】「『日本一の添乗員』が大切にする接客の作法」原好正さん

P71
4.ツアーコンダクターの言葉で感動を後押しする

ツアーコンダクターの言葉が持つ力

「原さん、お久しぶりです」

10年くらい前、ドイツ南部の観光名所をつないだロマンティック街道の終点にあるノイシュバンシュタイン城で、ほかのツアーに参加していた女性に声をかけられました。その方はその20年前、私が添乗した「ロンドン、パリ、ジュネーブ、ローマ」のツアーに高校生の娘さんと参加してくださったお客さまでした。

「娘もいまは結婚して子どもも生まれたんだけど、あのときは、ひと言も口をきかない態度の悪い娘だったでしょう?ちょうど反抗期で・・・」

懐かしい再会に、20年前の思い出話になったのですが、そのときにお客さまが次のような話をしてくれました。

「旅行中、ある都市で雨が降ったことがあったのだけれど、そのとき原さんが『いいですね、ロマンティックな雨!』と言ったのがとても印象的で。私はそのときまで雨なんて嫌だなと否定的に思っていたけど、原さんにそう言われて、雨もいいものだなと思えたし、原さんの言葉に感動しました

実は、私は自分の言った言葉を覚えていなかったのですが、そんなひと言を忘れずにいてくれたことに驚き、こちらのほうこそ、とても感動しました。

そのとき、私は本当に「ロマンティックな雨!」と思っていたのかもしれませんし、あるいは、あいにくの雨で沈んだお客さまの気持ちをなんとかしようと、思わず出た言葉だったのかもしれません。今となっては確認のしようがありませんが、一般的にマイナスな出来事も、ツアーコンダクターのひと言でプラスの印象に変えられるということを実感した出来事でした。


自らの感動で、お客さまの態度を刺激

先ほど、「ツアーコンダクターは常に新鮮な気持ちを持って」という話をしました。それは、人は置かれた状況に慣れてくると、感動や緊張感を失いやすいものだからでした。

それはツアーコンダクターだけでなく、お客さまも同じ。現地に着いたばかりのときは、何を見ても「わあ!」と目を輝かせていたのに、しばらくすると慣れてきて、有名な観光スポットもなんとなくスルーしてしまったりします。

たとえば、スペインのアンダルシア地方で、車窓にひまわり畑が広がる地域をバスで移動していたときのこと。ひまわりがポツポツと見えてくると、「あらー!」「きれい!」と感動して写真をとったりしていたのに、しばらくたつと、お客さまの反応がほとんどなくなってしまいました。なかにはウトウトしている方も。今まで目にしたものより、倍以上広いひまわり畑がお見えているにもかかわらずです。

そういうときは、「見事なひまわり畑が見えてきましたよ」「きれいですね!」と私が率先して感動を表すようにしています。当然、本当にそう思っているから言えるのですが、あえて口に出すのです。そうすると、お客さまの感度も刺激されて、「本当だ!」「すごいわね!」と新たな感動が生まれてきます。

さらにそのとき、お客さまの年齢層にもよりますが、「マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが主演した『ひまわり』というイタリア映画の名作に出てくるのは、このひまわり畑なんですよ」などといった情報を提供すると、さらに盛り上がります。

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何を見るか、何に感動するかはお客さまの自由です。それでも「ぜひ見てほしい」「楽しんでほしい」と思うときには、「ここが感動するポイントですよ!」とアピールして、お客さまの感度を刺激してさしあげるおせっかいも、サービスのうちではないかと思っています。

「旅は反芻の喜び」とも言います旅から帰っても、訪れた場所がテレビなどに出てきたりするとまた思い出して、何度も感動できるのが旅行の魅力だと思うのです。

ただ無意識にボーっと車窓の先を眺めていたのでは、仮にそこに絶景があったとしても、感動は半減してしまいますし、記憶にも残りにくいでしょう。だからこそ、お客さまの心に少しでも多くの思い出をしっかりと刻んでいただけるよう、お手伝いをしたいと思っているのです。

旅は『反芻の喜び』であり、それには旅先での非日常を積極的に言語化、感動認識し、脳裏に刻むことが欠かせない。旅行添乗員のto doの一つは、お客さまのこのお手伝いをすることだ」。
「日本一の添乗員」こと原好正さんのこの主張は同感だが、「反芻の喜び」は旅行に限らないであろうし、また、言語化の意義の最たるが感動と記憶の助長なのも、その機会と対象は旅先での非日常に限らないだろう。
羽生善治さんが以前講演で、夫婦仲の維持に初心を思い出すことを意識、励行している旨仰っていたが、この本質は「反芻の喜び」で、「初心」には恋愛時でなければとても言語化できなかった自分の内なる声や、相手への言葉にならない想いが必ずや含まれているだろう。(笑)
人生は、喜びより悲しみ、憤怒、辛苦、無念といった否定的感情を自覚する時が遥かに多く、折角自覚した喜びや感動といった肯定的感情を積極的に言語化し、反芻、リピート利用するのは、人、それもとりわけ「パンのみで生きるに非ず」の私たち現代人の自然かつ日常、もっと言えば日課だろう。

だが、原さんの本旨も分からないではない。
テレビから一向にワイドショー番組が無くならないように、良くも悪くも情報に恵まれ左脳が過剰に発達した私たちは、肯定的な感情であれ否定的な感情であれ、誰かに積極的に言語化されて初めて、自覚した感情の機微と正体を認識できる、というか、逆に言えば、誰かに言語化してもらわなければ、もはや認識できないのかもしれない。
自分の感情を他者から弁舌爽やかに代弁され、それをそのままあり難く受容する現代人の怠惰な思考習性が、かつてはヒトラーを、また、最近では麻原彰晃を、世に出してしまったのかもしれない。







kimio_memo at 07:39│Comments(0) 書籍 

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