【洋画】「幸せの教室/Larry Crowne」(2011)【第28期竜王戦第三局】渡辺挑戦者、勝利の女神を味方に、2-1と勝ち越しへ

2015年11月06日

【洋画】「アイルトン・セナ 音速の彼方へ/Senna」(2010)

[ひと言感想]
アイルトンは、FIを純粋にスポーツ(競技)として、また、唯一無二の自己成長機会、自己実現機会として、捉えていたのだろう。
たしかに、アイルトンは速かったが、その速さは、FIの他のドライバー、並びに、元締めであるFIAからすると、興行の域を完全に超えた、ガチ過ぎる、死と限りなく背中合わせの、「禁断の速さ」だったのだろう。
プロストが、当時、持てる政治力を駆使し、あそこまで露骨にアイルトンと反目したのは、この「禁断の速さ」の本末転倒、及び、ナンセンスの可能性とリスクを、アイルトンに理解、得心させたかったのが主因で、現在、アイルトン・セナ財団の管財人を務めているのは、それが果たせず、先のリスクをアイルトンの身に現実化させてしまった贖罪が大きいのだろう。

久しぶりに生前のアイルトンを見てつくづく思ったのは、「兎に角『青い』」ということだ。
私自身は勿論、世界中の老若男女がアイルトンに魅了されたのは、否、依然魅了されているのは、自分の失ってしまった「青さ」、並びに、自分の具現でき得ていない「青さ」を青過ぎるアイルトンが肯定し、救われるからだろう。
そして、かつてシューマッハは「Senna was my Idol(セナは自分にとってアイドルだった)」と言ったが、私たちは「アイルトンはもう一人の自分だ」と思っているのだろう。
かつて私たちはFIを見ていたのではなく、もう一人の自分であるべきアイルトンの物語、生涯を見ていたのだろう。


アイルトン・セナ~音速の彼方へ [Blu-ray]
監督:アシフ・カバディア 
ジェネオン・ユニバーサル
2012-05-09









■参考■シューマッハの述懐(2004年5月)

P194
「アイルトンの死は自分にとって衝撃だった。
レース界からの引退も考えた。
彼とはいろいろあったが、我々を分断したそうした論争はさて置き、セナは自分にとって常にベンチマークだった。
手本であり、夢を実現するために乗り越えなければならない壁だった。
あの恐ろしい出来事を思い出すたびに、自分はたったひとつ過ちを犯したと後悔する。
ブラジルでのアイルトンの葬儀に行くべきだった・・・。
ところが私は、家にいた方がいいというアドバイスに従ってしまった。
これは間違いだった。
大きな間違いだった」。


アイルトン・セナ 確信犯
レオ・トゥッリーニ
三栄書房
2015-09-15




kimio_memo at 07:31│Comments(0)TrackBack(0) 映画 

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