2015年06月30日
【野球/人生】「心の野球 超効率的努力のススメ」桑田真澄さん
P42
第3章 怪我は勲章
(前略)
手術後、ジョーブ博士は僕とメディアにこう言った。
「われわれの手術も格段の進歩を遂げています。マスミ・クワタのケースは筋肉も神経もまったく傷つけないで手術を行うことができましたし、回復はミスター・ムラタ(村田兆治)よりずっと早いと思います。それにリハビリのメニューを完全にこなすことができたら、元どおりに投げられるはずです」
単調なリハビリを続けるのは、とてもつらいことだった。手術を受けて成功した人はいるけれど、リハビリに成功した人は少ない。それは「今日はこれくらいでいいや」というほんのわずかの慢心が生まれるからだ。
リハビリを続けて、少し投げられると感じたとき、10メートルの距離から、20球だけのキャッチボールができた。そのとき、僕は小さな夢を叶えたと思った。人間には大きな夢と小さな夢がある。大きな夢が東京ドームで投げることなら、小さな夢は、どんな短い距離でもいいからもう一度、ボールを投げるということだった。小さな夢を叶えていくことが、大きな夢を叶えることにつながる。
リハビリの毎日は、小さな夢を叶えることの連続。日常生活でも、僕は小さな夢をいくつももつようにした。右肘のリハビリのために、使いにくい象牙の長い箸を用意して、食事をするようにした。しっかりつまめなければ、箸から料理がこぼれ落ちるのだが、わざわざ豆の料理を作ってもらって、それを箸でつまむ練習もした。
ファンの方に求められるサインも、アルファベットの「Kuwata 18」から「桑田真澄 18」に変えた。
筆ペンを使って漢字を書くことで、指先を馴らすことができればという気持ちからだった。
指先の感覚とリズム感を失わないためにピアノを習い始めたことも、ポリフェノールが身体にいいと聞いてワインを飲むようになったことも、僕にとってはすべて、リハビリの一環だった。
毎日、同じことの繰り返しで、何もやることがないと、本当に復活できるのかなとか、またあのマウンドに立てるのかなとか、余計なことを考えてしまう。だから、起きている時間をいかに有効に使うかを常に考えていた。
(中略)
僕は野球選手だから、野球のプロフェッショナルでありたいと思っていた。生活のすべてが野球のためだという、徹底したプロ意識。そういう意識をもてる人こそが、真のプロフェッショナルだ。
そう考えるとスポーツ選手は、怪我をしたときには、リハビリのプロにならなければならないと僕は考えた。どんなに投げられそうだと思っても、どんなに投げたいと思っても、焦って投げることには何の意味もない。単に早く復帰することもよりも、完璧に治すことが大事だと自分に言い聞かせて、そこで我慢する。それができる人が、リハビリのプロだ。
完璧な手術をしてくれたジョーブ博士に応えるためには、完璧なリハビリをしなければならないんだと自分を励ましていた。
スポーツには怪我はつきものだ。でも、怪我の再発防止を心がけることはできる。念入りにストレッチをする。身体の柔軟性を保つ。お風呂のなかでマッサージをする。お風呂で自分の指でマッサージをすれば、握力がつく。怪我とはそうやって地道に付き合っていくものだ。
僕は、自分だけは絶対に怪我をしないと思っていた。常にこれだけの節制をして、これだけの努力をしているんだから、怪我などするはずがないと確信していた。でも実際には僕は2度も大手術をした。
僕の右肘と右の足首には傷跡がある。どちらも試合中に負った怪我を治すために、メスを入れた跡だ。僕はこの二つの傷を、勲章だと思っている。
(中略)
プロ野球選手として、手術を受けるというのは「超」のつくマイナスな出来事。手術しなければ、その後、野球ができなくなるわけだから、それ以下はないと言っても過言ではない。でも、それを勲章だと思えるのは、それだけ僕はあのダイヤモンドのなかで、マウンドの上で、ベストを尽くしてきたということ。
いま振り返れば怪我をしてよかったなと思える。今後、僕が指導者として若い世代と向き合っていくとき、彼らの苦しみや痛みを理解し、アドバイスをおくることができるからだ。怪我をしたときはとてもショックだったが、今ははっきりと言える。怪我は僕にとって、かけがえのない財産であり勲章だ。
「スポーツ選手は、生活の全てを自分の専門技のためと思考できるプロフェッショナル」で、「怪我がつきもの」であるからして、「リハビリのプロにならなければいけない」との、桑田真澄さんの思考とそのロジックは成る程だ。
そう、私たちも、各々小市民とはいえ、何らか専門技でオマンマを食べるプロフェッショナルで、日々物理的、経済的、精神的のいずれかか複数、何らか怪我に見舞われるからして、リハビリのプロにならなければならない。
また、リハビリのプロになるには、大きい夢だけでなく、その実現に収斂する「小さな夢を日常的にいくつも持つこと」が、「起きている時間を余計なことを考えず有効活用する」上でとりわけ有効であるとの、思考とそのロジックも成る程だ。
リハビリのプロになるのが容易でないのは、即ち、桑田さん曰く「手術に成功する人は居ても、リハビリに成功する人はそう居ない」のは、絶望と背中合わせの日常を、希望の必然と思考、ロジック立てる習性の会得が容易でないことに加え、私たちがその意義を凡そ見過ごしているからではないか。
kimio_memo at 07:03│Comments(0)│
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