【洋画】「戦火の勇気/Courage Under Fire」(1996)【第73期名人戦/第四局】羽生名人、「完封負け」から逆転勝利し、名人防衛に王手

2015年05月21日

【経営/日本文化】「イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る」デービッド・アトキンソンさん(小西美術工藝社会長兼社長)

P123
滝クリスピーチへの違和感

(前略)

このようなスピーチのなかで、彼女(=滝川クリステルさん)は「お・も・て・な・し」とひと文字ずつ区切って強調したうえで合掌をしましたが、あの姿に私は非常に大きな違和感を覚えました。なかでもこれはまずいと思ったのはあの言い方です。

海外のネットやマスコミで酷評されたので、ご存知の方も多いかもしれませんが、「お・も・て・な・し」のような単語を区切って強調する言い方は、相手を見下げている、バカにした態度ととられてしまうのです。さらに驚いたのは、このような批判を受けても、滝川さんはどこ吹く風で「日本国内では絶賛されました」というようなコメントをしたことです。「おもてなし」と言いながらも、「客」の評価などどうでもいい。これでは単なる自分たちの身内で自慢話をしているような印象でしかありません

(後略)

P125
東京五輪を世界はどう見たか

このような誤解の中でも最も大きなものは、外国人が求めている「おもてなし」と、みなさんが考えている「おもてなし」についての相違でしょう。

データを調べてみると、外国人が日本への旅行でどんな「おもてなし」に感動するのかというと、日本人ひとりひとりの個人としての「おもてなし」なのです。困っていると助けてもらえる、道を案内してもらえるなどなのです。

たしかに、日本式の「お辞儀」なども、欧州からなくなっている作法ではありますが、それはあくまで表面的なもので、真に評価されているのは、日本人の優しさ、その心です。

ところが「個人」ではなく日本の会社、飲食店、ホテルなど、いわゆる法人が提供するサービスというのは、みなさんが思っているほど評価が高くありません。むしろ、一方的なサービスの押しつけや、臨機応変がきかない、堅苦しいと酷評されるケースも多いのです。

評価が高いのは「日本人のおもてなし」であって、日本という国家や東京という「都市のおもてなし」ではないのです。個人に対する評価を強引に、組織に結びつけてはいけません。

(後略)


P130
客の都合に合わせない

(前略)

つまり何を申し上げたいのかというと、外国人が日本人に期待している「おもてなし」と日本人が現実におこなっている「おもてなし」の間には非常に大きな隔たりがあるということです。

滝川クリステルさんが言うような「おもてなし」を真に受けた外国人は、日本人の多くが見返りも求めずに「客」に奉仕をしてくれるサービス精神の持ち主だと思います。しかし、実際の日本人の「おもてなし」は違いますサービスの大前提として、そのサービスを享受する側ではなく、”供給する側”の都合がまず優先されることが多いのです。

一般的に日本の高級旅館というのは、起きる時間、寝る時間、食べる時間帯、そして食べる内容まで、供給者側が決め、客はすべてそれに従うというのが主流ではないでしょうか。

この関係性は、家に招いた主(ホスト)と、招かれた客人(ゲスト)にたとえるとわかりやすいかもしれません。

先ほどの老舗温泉旅館の場合、私たちは「客人」ではありますが、早く部屋に入りたいという要望を受け入れてもらえませんでした。老舗温泉旅館という「主」の都合が悪かったからです。その家に招かれている以上、家の主が定めたルールに従わなくてはいけませんし、主の都合が悪くなれば「客人」は満足のいくもてなしを受けることができません。

つまり、日本の「おもてなし」というのは”客の都合”に合わせるという概念が欠如しているのです。


P133
「おもてなし」は受け手が決める

(前略)

以上のことから、「おもてなし」について重要なポイントは二つあります。ひとつは海外では「おもてなし」を受けたかどうか、評価をするのは客であって、供給者側が決めるものではないということ。そして、もうひとつが、日本人が自画自賛する「おもてなし」と、外国人観光客が評価する「おもてなし」は違う場合があるということです。

『おもてなし』を受けたか否かは受け手が決める
デービッド・アトキンソンさんのこのお考えは成る程であり、また、尤もだが、これは、いかに自分が「美味しい料理を作った」とか、「あなたを愛している」と言い張ろうと、当の本人が「美味しくない」、「愛されていると感じない」と思えばそれまでであるのと根本は同じだろう。
オリンピックは「参加すること(そのもの)」に意義がある(と昔から言われている)が、人の営みは基本、営みそのものには意義がなく、営みを営みたらしめるには、何より先ずコンセプト、並びに、所与の目的に即している必要がある。

では、「おもてなし」の、否、「お客さまをもてなす」ことのコンセプトは、一体何なのだろう。
一番は、「『個』客満足の最大化」だろう。
「不肖の自分と袖振り合った”その”お客さまに最も満足いただくには、最も心身笑顔になっていただくには、どうしたら良いか?」
お客さまを、更には、他者(ひと)を「もてなす」ということは、こう考え、修練と試行の日々を送っていて初めてできることであり、日本人なら誰でも何時でも何処でもできることでは断じてない。
たとえば、その基本とも言うべき「お辞儀」にしても、道すがら遭った人に「一旦立ち止まって」している日本人は皆無に等しいが、それはそういうことだ。
「お客さまをもてなす」ことに限らないが、先ず自分がコンセプトを理解していなくて、更には、その具現に日々留意、努力していなくてできることなど、その結果は、はたまた、当の本人に与える効果は、所詮知れている。

また、日本人が職場で「お客さまの都合」より「自分の(組織の)都合/ルール」を優先する嫌いがあるのは、自分が組織的に「浮いて」しまうことの畏怖に大きく裏打ちされていよう。
雇用が非流動的な日本において職場で「浮いて」しまうことは、死に等しい。
自社を日本一の「おもてなし」企業にしたい経営者は、先述のコンセプトの全社共有とその具現のための環境整備に、そして、「個」客満足評価がフィードバック、算入可能な業績評価システムの構築に、速やかに着手すべきだ。


P195
おわりに

(前略)

日本の特徴のひとつは、やたらと「問題」を指摘する声が多く、その類の会話が多いことだと感じています。そもそも、「問題」とは言ってみれば理想と現実の差がもたらすものですので、理想を高くもつ日本社会ならではの特徴かもしれません

私は高き理想を掲げる日本の文化が好きです。しかし、なぜかこの何十年間は、あちらこちらの場面で理想と現実の差が広がってきているような印象を受けます。

高い理想を維持しつつ、現実のギャップを縮小していく日本経済、日本社会の取り組みに大いに期待をしております。

「日本の特徴のひとつは、やたらと『問題』を指摘する声が多い」のは完全に同意するが、その原因が「日本人の理想の高さ」というのは完全には同意しかねる。
デービッドさんのこのお考えは日本、及び、日本人(読者)へのリップサービスだろう。
たしかに、日本には「ケガレ(≒不純さ)」を嫌悪する慣習が根強く在り、それを、「理想」という「純粋さ」を良くも悪くも強く嗜好するが故と解釈できないこともない。
しかし、私たちが声高に叫ぶ「問題」は、専ら家の内外を問わず自分事ではなく他人事であり、かつ、未解決であるからして、主因は、私たちの自己逃避や責任転嫁(他責)の習癖に思えてならない。
「問題」は「叫ぶモノ」ではなく「解決するモノ」、「解決してナンボのモノ」だ。








kimio_memo at 07:16│Comments(0) 書籍 

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