2015年05月13日
【ゴルフ】「勝負論」青木功さん
P110
8Hole-1
おれ流「失敗の克服」法
ゴルフは「失敗ありき」のスポーツだ。
(中略)
プレイヤーによって考え方は違うかもしれないが、おれはゴルフで結果を残すためにはある程度のミスはあって当然だと思うようにしている。
もちろん、ショットの前は常に目標物のピンに「寄せてやる」っていう気迫を持っている。「ミスをしたらどうしよう」というマイナスの考えは一切入れない。ミスを恐れているとどんどん気が滅入ってしまって簡単なショットまで自分で難しくしてしまいかねないし、少しでもそういう考えが頭に入るとイヤな雑念が湧いてミスショットの確率を増やすだけだからだ。
だから、「失敗はあって当然」「ミスしたらその時に考えればいい」という意識を心の片隅に置くようにしている。第一、失敗したところで命までとられるわけじゃあない。
左にOBがあれば「ああ、そうなのか」、バンカーが手前にあるなら「入ったら入った時だ」と、気軽に考えられるようになれば、それだけで大きなミスはだいぶ減るものだ。
それでも失敗したら、その時はきっぱり気持ちを切り替える他ない。打ってしまったものは後から取り戻せないわけだし、プレー中ずっとその一つのミスをくよくよ引きずっていたら、いつまでも次のナイスショットにはつながらない。ゴルフは精神的な部分が影響しやすいスポーツだから、それだけに素早い気持ちの切り替えと、どんな状況でも耐えられる強い精神力が必要になってくるのである。
(中略)
こういう考え方というのは一般企業でも同じじゃないだろうか。ちょっとした発注のミスやお得意先との交渉の行き違いなど、どんな仕事にしたって何かしら失敗はつきまとう。自分の仕事を最初からいい加減な意識でやっているなら別だけど、全力を尽くしてミスがあったのなら気持ちを切り替えるしかない。逆に、その失敗を気にし過ぎて沈んでばかりいては、いつまで経っても次に進めないし、何の解決にもならないんじゃないかな。
よく「失敗は成功のもと」と言うじゃない。いつまでもミスを悔やんでいるくらいなら、次の一手を考えた方が成功につながる。
大袈裟だけど、失敗を悔やむ前にそれを喜ぶぐらいの気持ちでなければ、どんな世界でも成功する確率は上がらないのだ。
突き詰めていくと、ゴルフも人生も失敗の繰り返しで成長するものなんだな。最初から全てを上手くできる人間なんていやしない。「ああそうか、こういうものなんだ」「次はこうやってみよう」って、失敗するからこそ次につながる何かを見つけて成長していくんだ。
「失敗は『悔やむべきモノ』ではなく『喜ぶべきモノ』であり、そう思えなくば、成功はおぼつかない」。
青木功さんのこのお考えは成る程だが、もっと成る程なのはこのお考えの基盤に在る、「失敗は人生そのものに加え、成功と成長の所与である」旨のお考えだ。
成る程、「レジェンド」足るプロフェッショナルの頭脳からすると、失敗が人生の既定の当然なら、成功と成長も人生の既定の当然なのだ。
かくして・・・
P151
そう考えると1980年にニュージャージー州の『バルタスロール・ゴルフクラブ』で開催された『全米オープン』は、2位という成績だったけれど完全燃焼ができた。
(中略)
そのまま決勝ラウンドに進み、おれは迎えた3日目も68とした。ジャック(・ニクラウス)は70のパープレーで、3日間を共に戦って、ジャックもおれも通算6アンダーで首位。遂に最終日も2人で回ることになった。
(中略)
最終日には、優に3万人を超えるギャラリーが詰めかけた。そのうちの3分の1は、おれたちの組についたという。ティグラウンドからグリーンまでがギャラリーで埋め尽くされ、「ジャック・イズ・バック!」と物凄い声援に、おれは「ジャック、ジャックってうるさいんだよ。アオキだって来てるじゃないか」と反発しつつも、雰囲気に飲まれそうだった。
ただ、何事も自分の都合の良い方に解釈するのがおれの特技である。途中から「ジャック・イズ・バック!」という声が、「アオキ、ガンバレ!」と聞こえるようになった。完全に自分だけの世界に入っていたのだ。
・・・青木さんが「ジャック・イズ・バック!」なる大声援を「アオキ、ガンバレ!」と空耳できたのは、トッププレイヤーに成るのが既定の当然に思えていたからに違いない。
P125
9Hole-2
道具との付き合い方について
(前略)
それにしても、最近の子は普段から「上手だね」とか「凄いぞ」って”おだてられて”教わっているのか、はたまたミスをして叱られるのが嫌なのか、失敗することを極端に恐れていると感じる。教育論めいた言い方になっちゃうけど、大人は「失敗は怖くないんだよ」とか、「失敗を恐れて逃げちゃう方がよっぱど格好悪いんだぞ」って教えなきゃいけないと思う。逆に言えば、失敗して「何やってるんだ」「下手くそだな」なんて叱る前に、「どうして失敗したか考えてごらん」「次の課題が見つかって良かったな」と”褒めて”あげなきゃいけないんじゃないか。
誰だって、苦手や不得手な部分を指摘されたらいい気はしない。でも、かといって変におだててしまったら勘違いをしてしまうだけである。
「私は褒められて伸びるタイプなんです」なんて言う人もいるけど、それは褒められてきたんじゃなくて、単におだてられてきただけだろう。本当の意味での”褒める”っていうのは、その人に裏付けのある自信を持たせることだと思うね。
私事で恐縮だが、私は他者(ひと)を矢鱈に褒めない。
なぜか。
「取り立てて肯定評価すべき意義を見つけ難いから」や「却って変に勘違いさせてしまう(→結果的に逆効果に成る)可能性が高いから」と自覚していたが、青木さんの「『褒める』と『おだてる』の差異論」を拝聴し、「『裏付け』の怪しい自信の提供に抵抗と罪悪を覚えるから」が真因だと気づいた。
そうなのだ。
「褒める」と「おだてる」は紙一重かつ要注意であると共に、「褒める」ことの主眼は「裏付け」、即ち、「合理的かつ再現可能な根拠」に基づいた自信を提供し、他者を刹那的にではなく、持続的にモチベート(motivate)することなのだ。
”その”他者に「好かれたくて」、もっと言えば、「嫌われたくなくて」、「裏付け」を見つける労を惜しみ、単に直感的、脊髄反射的に「おだてる」のは、「おもねり」や「おべっか」と変わらず、利己的で恥ずべき行為なのだ。
kimio_memo at 06:28│Comments(0)│
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