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2015年04月22日

【野球】「エキストラ・イニングス 僕の野球論」松井秀喜さん

P133
第30回 最後の球団レイズ

(前略)

契約チームが決まらずに開幕後も個人で練習を続けていた(20)12年、僕はシーズン途中からレイズに加わった。当時チームを率いていたのはジョー・マドン監督(カブス監督)だ。ペンシルベニア州の名門大の出身で多趣味。元捕手だがメジャー経験はなく、大学時代はフットボール部で先発QBを務めたこともある、とにかく野球も私生活も全て楽しもうという姿勢が見えた。

クラブハウスに張り出されるメンバー表には哲学者の名言などが毎日書かれている。そうかと思うと試合前の監督室からは大音量のロックが聞こえ、試合後はその部屋でワインをたしなむ姿も。年に1度か2度、移動日の服装を指定するのも監督の遊びで、12年には「全身白」というのがあった。もちろん僕も白ずくめで遠征に行った。

試合では外野を2人にする極端な守備シフトや、08年にレンジャーズ戦で見せた満塁での敬遠四球など大胆さが注目された。マドン監督には、何事もやってみなければ分からないという気概をいつも感じた。

策士のイメージで語られることが多い。ただ、打つ手は決して誰もが考えつかない策ではない。考えついても普通は実行できない事をやってのけるのがすごいところだ。奇抜と見られることをいとわない。野球の采配でタブーに挑むことも楽しみのうちなのだろう。

(中略)

12年7月24日夜、オリオールズ戦で滞在していたボルティモのホテルでマドン監督の部屋に呼ばれた。戦力外というチームの方針を伝えられたのだが、冷たい通告をされたとは感じなかった。

「ヒデキがどのような道を選択しても俺は応援している」と前向きな言葉で僕にエールを送ってくれた。思うような成績を残せずシーズン半ばで退団することになったが、レイズとマドン監督には感謝している。

「ヒデキがどのような道を選択しても俺は応援している」。
ジョー・マドン監督はこう、松井秀喜選手にハートフルなエールを添えて戦力外通知をしたが、これは本音だろうか。
それとも、単なる美辞麗句や綺麗事、或いは、訴訟対策だろうか。
勿論、答えはマドン監督にしか分からないが、本音、もしくは、限りなく本音に近い、のだろう。
なぜか。
もし後者の類なら、松井選手はこうして改まって本件に謝辞を述べないだろう。
松井選手は他チームでも戦力外通知を複数回受けており、マドン監督のこのエールが本音か否かは判別できるだろう。

では、なぜ、マドン監督は、悪い言い方で言えば「用済み」の松井選手に、こうしたハートフルなエールを本音で送ったのか。
私は主因を二つ考える。

一つは、「用済み」の評価はあくまで現時点でのそれだから、だ。
チームの第一命題は「生き残ること」だ。
そのため、チームリーダーは、リソースを絶えず最適化する必要があり、既存メンバーの戦力外通知と新メンバーのリクルートが欠かせない。
将来、松井選手をまたリクルートする可能性はゼロではないし、実際、メジャーリーグに限らず、有効人材の流動と非幽閉が当然かつ旺盛な外資系企業では、そうした「再リクルート」と「出戻り」が珍しくない。

もう一つは、「用済み」の評価はあくまで現時点での、それもメジャーリーグビジネスでのそれだけだから、だ。
実際、松井選手も本書の冒頭で以下述べており、マドン監督を野球人としてだけでなく一個人として終生尊敬するだろう。

P9
本書のテーマの一つは、目標に向かう過程だと思う。物事に真っすぐ向き合う人がいつも成功するとは限らない。だが取り組み自体ができない人はたいてい何をやっても駄目だと思うし、才能だけで成功してもその後に落とし穴がいくらでもある。野球と同じで勉強でも仕事でも失敗はあるだろう。もしそこで駄目だったとしても、取り組みが確かなら、本人に分からない別のところで成功に近づいているのだと僕は考える。この本を手にした人には、そういうことを信じてほしい。

「相思相愛」ならぬ「相思相敬」のマドン監督と松井選手のこと、グラウンドを超えて再合流する日も十二分にあるだろう。











kimio_memo at 06:52│Comments(0) 書籍 

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