【第40期棋王戦第一局】渡辺棋王、羽生挑戦者の一瞬の緩みを俗手で咎め、緒戦を制する【邦画】「犬とあなたの物語 いぬのえいが」(2011)

2015年02月16日

【マーケティング/マネジメント】「iモードの猛獣使い 会社に20兆円稼がせたスーパー・サラリーマン」榎啓一さん

P87
大企業病

とはいえ、当時の(NTT)ドコモには小姑が少なくて助かりました。

これも私の運のよさです。

ドコモの出身はNTT、NTTの前身は電電公社です。世間一般には、公社は役人の一種で官僚的だと思われているようです。私は電電公社に入って40年、ドコモに来て20年経ちますが、その間いろいろな企業の方とお付き合いしてきた結果、別に公社だから官僚的なのではなくて、成熟した大企業だからだという結論に達しました。

私の経験から言うと、業務量と組織規模の関係だと思います。

iモードの開発を始めた当時のドコモは、今から約20年前ですが、携帯電話が売れまくり、業務量は日々増えていきました。

営業の人間も、技術も、設備投資の担当も、総務も経理も全員が忙しく、自然と権限移譲が行われていました

部長の仕事は課長へ、課長の仕事は係長へ、係長の仕事は平社員へと移っていきました。

権限が大きくなるので社員は仕事が楽しくて仕方ありません。企業の創業期の活力ある職場でした。

また、自分の仕事がとても忙しいのですから、他人の仕事にまで口を出す暇はほとんどありませんすなわち小姑が現れる環境がなかったのです。

業務量が増えると当然組織を増やしていきます。しかし、時間が経つにしたがって仕事の伸びは落ち着いてきます。そして、ある日組織が業務量を追い抜く時が来ます。そうすると小姑が増え、他人の仕事をとやかく言う評論家が増え、ブレーキがかかります

これが大企業病だと思います。すべての企業が通らないといけない道、悩みです。

ところで役人を官僚的と言って非難しますが、150年前の明治維新時は、企業の創業期と同じような時期ですから、役人も自由闊達に仕事をしていたのだと思います。

この世は輪廻転生、大木が倒れて養分になり、若い芽が生まれて木になります。大企業が倒れてベンチャー企業が起こり、彼らもいつかは大木になり倒れる。どれだけ倒れずに大木でいられるかが企業の力の差のようです。成熟した企業の社長さんは大変です。

「『大企業病』の元凶は、生い立ちや規模ではなく、『小姑』を生む、『大企業』もとい『成熟企業』特有の『ヒマ(余力のある労働)』と『やり甲斐の無さ』にある」との、榎啓一さんの「『大企業病』論」は成る程かつ尤もだ。
たしかに、経験的にも、大企業病と無縁の会社には小姑が居ないし、トップからスタッフまで絶えず目の下を黒くし笑顔でテンパっている(笑)からして、小姑の生まれようがない。
よしんば、特別変異で生まれても、「人の足を引っ張るより、引っ張られる方が面白い!」と追随者が皆無で、間もなく自然消滅する。
実際、私生活の本物の小姑を振り返ってみても(笑)、父方の祖母が小姑足る得たのは、彼女が毎日テレビを見、母をイビるほか生き甲斐が無かったからで、母方の祖母が小姑足り得なかったのは彼女が生涯「働き者」だったからであり、小姑の発生に「ヒマ」と「やり甲斐」の多寡が密接に関係しているのは間違いない。

榎さんの「『大企業病』論」から気づかされたことが一つある。
それは「イノベーションのジレンマ」にも通じることで、ひと言で言えば、「確率論に基づく合理主義は、企業に、そして、本人に短期的な成功は約束するが、中長期的な成功は約束しないばかりか、却って『終わりの始まり』を宣告しかねない」、ということだ。

企業の第一命題は「生き残ること」だ。
そのためには、何はともあれ「売れる商品」を製販し、キャッシュフローをプラスにしなければならない。
たとえば、ベンチャー企業が「多産多死」であるのはこのためで、彼らの多くは、動機が純粋な余り「売れる商品」ではなく「売りたい商品」を製販してしまい、マイナスで始まったキャッシュフローをプラスに転じさせられず死に絶えてしまう。
では、幸いにも「売れる商品」が製販でき、キャッシュフローをプラス化できた彼らは、その後どうするか。
勝ち得たキャッシュをテコに、「業容拡大」と「持続的イノベーション」を推進する可能性が高い。
つまり、ヒト・モノ・カネを増やし、売れた商品の「続編」や「スピンオフ」、即ち、高機能化、高性能化、バリエーション展開を図る訳だ。
彼らのこうした経営は正に合理的であり、間違っていない。
しかし、間違っていない合理的な仕事というのは、良くも悪くも「予めマニュアルや成果物の青写真ができている」仕事であり、悪く言えば、「『仕事』と言うより『作業』」、「実体が前例踏襲かつコピペ」、「成果物が凡そ予定調和的かつ想定範囲内」の仕事であり、「売れる商品」を五里霧中かつ死に物狂いで作り、売り歩いていた創業時と比べると、経営者以下スタッフの余力は格段にある。
そして、この合理的かつ楽な環境こそが、榎さんの仰る「小姑が現れる(→「大企業病」を発症せしめる)」それであり、また、「売れる商品」の製販の、ひいては、企業の「終わりの始まり」を決めるそれなのだ。

榎さんから授かったこの気づきから、私は新たに何を思考、行動すべきなのか。
一番は、「『合理の積み上げ』の誘惑を必ず『程々』で断つ」、ということなのだろう。
更には、「『程々』の何たるかと頃合いを見極める」、「積み上げた合理を『程々』でガラポンする勇気と習慣を会得する」、ということなのだろう。
感情を極力排し、ロジックと確率論でぎりぎり成功を勝ち得た途端、今度はその未練(サンクコスト)と誘惑に感情を揺さぶられるとは、企業も人も、終生皮肉かつ楽のできない生命体に違いない。







kimio_memo at 07:34│Comments(0) 書籍 

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