【邦画】「ひまわりと子犬の7日間」(2013)【第62期王座戦第五局】羽生王座、怒涛の寄せで豊島挑戦者を寄せ切り、王座防衛を果たす

2014年10月23日

【失敗学】「人はなぜ、同じ間違いをくり返すのか」野崎昭弘さん

P143
間違えたときに、その間違いに気づくかどうかが第一段階です。

(中略)

さて、間違いを起こしてしまったときに、落ち込む人が多いでしょう。

(中略)

「落ち込む」というのは単なる感情の起伏ですそれに対して、「反省する」のは理性的な行動です反省の具体的な方法についてはこのあとで考えていきますが、「どこが間違いだったのか、どうすれば再発を防ぐことができるのか」を理性的・論理的に考えるのが「反省」なのです。

(中略)

間違いをしても、反省に至らないのが一番よくないパターンです。それには、主に次の4つのケースがあると思います。

1.間違いそのものに気づかない。
2.間違えたことで落ち込んでしまって、それっきりになる。
3.間違えたことは理解しているが、楽天的すぎて反省がない。
4.間違えたことは理解しているが、周囲や世の中が悪いとして片づける。

1.についてはすでに書きましたので、まず2.のケースを考えてみましょう。

欧米人にくらべると、日本人は間違えたり失敗したときに、落ち込みが激しいような気がします。

その原因は、学校の先生にあるのかもしれません。今はどうかわかりませんがかつては「わからないやつは頭が悪い」という言い方をする先生が多く、生徒の側からすると「間違える→叱られる→自分はダメな人間だ」という思考回路が出来上がってしまうので、間違えるだけで落ち込むことになるのです。

本来ならば仕事上の失敗や勉強での間違いは、人格とはあまり関係がないはずです。しかし、それを結びつけて、間違えた人間を人格的に否定するやり方が、かつての軍隊から引き継いで、現代でも教育界やスポーツ界の一部に残っているような気がします。


P155
理性的な反省をしたからといって、すぐに原因がわかるとはかぎりません。しかし、考えるのをそこでやめてしまえば、それっきりです。でも、考えていけば、いつかは答えが出てくる可能性はあります。

いや、はっきりとした答えがでなくてもいいのです。重要なのは、考え続けることです。たとえ原因がわからなかったとしても、粘り強く考えていけば、似たような状況に直面したときに、前と違うやり方で対処してみようという考えが浮かぶでしょう。それでまた間違えてしまっても、「この方法でもダメだ」というデータが増えるのですから、1つ進歩するわけです。

少なくとも3回目ぐらいまでは、間違えてもそのたびにいろいろな情報が増えていくはずですから、自分なりに考えていれば、いい対応を思いつく可能性も大きくなると思います。

でも、なにも考えなければ、何回間違えても同じことをくり返すだけで進歩がありません。進歩ゼロが恐ろしいのは、単に同じ間違いを犯すだけでなく、間違いをくり返していくうちに、そのパターンにはまってしまうという点です。考えないで行動するのですから、悪い対応を反射的にくり返してしまうのです。

「人格」とは何か。
私は「思考習性」と、また、詰まる所「癖」と考える。
著者の野崎昭弘さんは第2章において、間違いをくり返す人の性格とその特徴を以下類別しているが、これこそ癖であり、また、人格である。

[1]落雷型
[2]猫のお化粧型
[3]めだかの学校型
[4]這っても黒豆型
[5]馬耳東風型
[6]お殿様型
[7]即物志向型

たとえば、浮気をくり返す人というのは、「視界に相応の女性が入ると、口説かずには居られない」癖を持っている人であり、それ以上でもそれ以下でも無ければ、悪気も無い。(笑)
彼らを世の多くの人は、「浮気症」とか「女好き」と否定的に人格評価するが、正確かつ論理的に言えば、「浮気症」や「女好き」というのはそうした癖のてん末であって、人格ではないはずだ。

然るに、野崎さんは「失敗や間違いは人格と無関係である」と仰っているが、私はそれは違うと思う。
失敗や間違いは、基本、当人の人格、即ち、癖の否定的なてん末だ。
女好きが死ぬまで治らないのは先述の癖が治らない、或いは、そもそもその癖を認識していなかったり、認識していても改めようと具体的かつ合理的に試行錯誤していないからであるように、私たちが同じような間違いを同じように繰り返し続けるのは、当の間違いを高確率で引き起こす癖が治らない、或いは、そのそもその癖を認識していない、認識していても改めようと具体的かつ合理的に試行錯誤していないからだ。

よって、野崎さんは「そうした無作為の罪を犯している日本人は少なくなく、その主因として教師等の指導者が、間違いを犯した後進の人格を否定的に評価してばかりで、『反省』ではなく専ら『落ち込み』を後押ししているからだ」と仰っているが、私はそれも違うと思う。
指導者側で問題なのは、間違いを犯した人を「わからないやつは頭が悪い」と指摘する、その指摘の内容と方向性である。
「頭が悪い」というのは癖ではなく、何らかの癖の否定的なてん末の一つだ。
「お前はダメな人間だ」と言うだけでは、指導者失格だ。
指導者足る者、彼らを「ダメ人間」と指摘するなら、どこがどうダメなのか、即ち、残念なてん末の元凶足る癖は何で、その癖を改めるにはどういった解決行動があり得るか、具体的かつ合理的に指摘することを忘れてはいけない。
指導者の本分の一つは、後進に改めるべき癖を気づかせ、具体的かつ合理的な試行錯誤の後押しをすることだ。







kimio_memo at 06:34│Comments(0) 書籍 

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