2014年11月17日
【サッカー】「奇跡のレッスン 世界の最強コーチと子どもたち」ミゲル・ロドリゴさん(フットサル日本代表監督)
【ナレーション】
(この東京都文京区の少年サッカー)チームを指揮する床井さん。
ミゲル(・ロドリゴ)さんの指導の特徴に気づいていました。
【床井伸太朗監督】
選手にミスが起きたり、間違えたり、失敗した時に、怒ったりするんじゃなくて、止めて、きちんと説明する。
で、できたら褒める。
その繰り返しをトレーニングの中でされているっていうのが、すごく印象的です。
【ミゲル・ロドリゴさん】
ある選手のことを思い出します。
チャンスでシュートを打ったら、(監督に)「パスだろ!」って怒られ、次にパスすると「シュートしろ!」と怒られた。
その子は、自分から積極的なプレーをしなくなりました。
僕ら大人の責任は大きい。
先ずは子どもの判断を尊重し、失敗を見つけても、後で指摘すればいいんです。
ミゲル・ロドリゴさんの指導は尤もだ。
スポーツに限らず、全ての競技、行為にミスは付き物だ。
たしかに、指導者がミスを訳も無く闇雲に怒り、咎めたところで、当事者は狼狽えるしかないし、更に悪いことに以後、その行為を積極的に行うのが怖くなり、気後れするようになってしまう可能性が高い。
そもそも指導者がミスを指導するのは「同様ミスの再発の最小化」が目的であり、これでは何をしているのか分からない。
「同様ミスの再発の最小化」を達成したいなら、何より先ずミスを招いた「メカニズム」を洞察しなければいけない。
その上で、ミスの根本原因がメカニズムの原点である「判断」にあったのか、或いは、判断を具現化する「手続き(流れ/フロー)」や「技術」にあったのか、当事者に気づかせ、具体的な対処を促さなければいけない。
とは言え、よく考えてみると、人を指導する立場に就く人なら、こうしたことは、自らも当事者として痛い思いをしながら、頭では十分分かっているはずだ。
が、いざやってみると殆どできない。
なぜか。
私は、主因を「勘違い」だと思う。
勿論、「焦り」もあろう。
指導者足る者、一分一秒でも早く成果を出したい(出さねばならない)ものであり、「ミス」が表出したプロセスを一分一秒でも早く修正したい。
プロセスが一分一秒でも早く修正されれば、その分成果の出る確率も上がるからだ。
成果を早く出そうと焦る余り、ミスのメカニズム、プロセスをスルーし、ミスという結果だけを当事者に叱責してしまうというのも、勿論あろう。
ただ、経験上、「勘違い」の方が根深いように思える。
「結局、人が本当に信じられるのは自分だけであり、メカニズムから紐解いて、当事者にミスの再発防止を合理的に説き、かつ、促したところで、『下手の考え、休むに似たり』という言葉が示すように、所詮彼らの理解、実践は知れていて、徒労に終わるものだ」。
指導者のこうした勘違いが、もっと言えば「他者を軽んじ、自分を高く見る」、人間の「奢り」という悲しい性が、当事者にミスを合理的に指導する気概を自分から奪っているように思える。
指導者が指導すべきは、誰より先ず指導者自身ではないか。
★2014年10月13日放送分
http://www.nhk.or.jp/bs-blog/100/200397.html
P32
義務でプレーすると同じミスが生まれる
人間は「学習する生き物」と言われる。
では、学習するとは?見て、聞いて、実際にやってみて、正しい方法を自分で探し出すことだ。そして、自分で見つけ出した解決方法は、スポーツでも日常生活でも忘れない。
サッカーでもフットサルでも、ミスは必ず付きまとう。どんなに優秀な選手でも、ミスはするものだ。リオネル・メッシでも、本田圭佑でも。
指導者が考えるべきなのは、ミスをなくすことではない。そんなことは不可能である。ミスをどれだけ減らせるか、そのために、選手が自分で判断することを習慣づけでいくのだ。
私のアプローチは「問いかけ」だ。「この場面はどうしてこういうプレーをしたのか?」と聞く。選手の考えを聞いたうえで、「こうすれば、なお良かっただろう」と意見を伝える。
指導者が「こうしなければダメだ」と義務づけたら、選手の心に染みつかない。いつかまた、同じようなミスをする。
子どもが分かりやすい。「おもちゃを片づけなさい!」と叱っても、2、3日後にはまた散らかしっぱなしにする。「ちゃんと片づけなさいと言ったでしょ」と繰り返したところで、今度も子どもが頑張るのは3、4日ほどでしかない。義務と感じることに対して、人間は積極的になれないものだ。
発想を変えてみると、興味深い反応が見られる。子どもがおもちゃを片づけたら、「いいね」と声をかけるのだ。「部屋がきれいになったね」でも、「ありがとう」でもいい。子どもの頭を撫でながら褒めてみる。
片づけないと叱られる。片づけると褒められる。片づけを評価された子どもは、ふたつの行動パターンを体験した子どもは、どちらを習慣化していくか?説明するまでもないだろう。
P55
利き足が分からないほと卓越したテクニック
ヨーロッパのトップクラブで日本人がプレーできている最初の理由が、技術レベルの高さにあるのは間違いない。スペインの街並みで日本車を見かけるのは、私にとって何ら違和感のないことだ。日本の製造業がいかに高水準なのかを物語る一例で、日本人が持つ繊細さはサッカーにもフットサルにも反映されている。
2013年7月に韓国で行われたインドアサッカーの大会(アジアインドアゲームズ)に日本からもチームが参加していた。アジア各国のフットサル代表監督がーースペイン人監督が多いのだーー集まっていたのだが、日本からの参加チームは彼らの関心を惹き付けた。試合を観戦しながら、私は質問責めにあった。
「あの選手は右利きなのか、左利きなのか?おいミゲル、どっちなんだ?」
「それを言うなら、あの選手も右利きか左利きか分からないぞ?なあミゲル、教えてくれ」
利き足がどちらなのかは、さほど重要ではない。彼らが驚きを隠さななかったのは、どちらが利き足か分からないことだった。日本の選手たちは、左右両足で難なくボールをコントロールしていたのだ。幼少期からボールコントロールを身につけるトレーニングをしている成果が、日本サッカーに広く行き渡っていると感じる。
しかしテクニックだけの練習となりがちであり「戦術」が外されている。テクニックと戦術のつながりがないのだ。それは間違いであり、現代サッカーにおいてもフットサルにおいても、プレーしながら考えるために、戦術こそが練習のすべてを支配していなければならない。
スキルとは「技術」と「判断」を掛け合わせたものだ。香川や本田は、判断の柔軟性が増していると感じる。彼らは創造性豊かで、他人にはできないこと、自分にしかできないことをやってやろうという意欲に満ちている。他者との違いは自分の価値だ。コート上で自分らしさを発揮するのは、プロフェッショナルとして大切なことである。
P200
1試合で44本ものシュートを浴びるゴレイロ
幼少期に横断的にスポーツをする習慣が、日本にはあまり馴染んでいない。(アメリカ・アイスホッケー代表のティム・)ハワードのような環境で育つゴールキーパーは、登場の可能性がきわめて低い。フットサルでたくさんのシュートを受けることは、日本人ゴールキーパーのレベルアップに寄与すると思うのだ。
マドリード理工科大学教授のハビエル・サンペドロは、「フットサルをプレーするには大学レベルの教養が必要だ」と言う。サッカーを中心としてスポーツ全般に造詣の深い彼の意見は、少しばかり大げさでありつつも納得できる。スペクタクルかつスピーディで、シュートチャンスとカウンターが多く、好セーブとアクロバティックなプレーに満ちていながら、高難度で美しいテクニックを披露させるこのスポーツを心地よくプレーするには、インテリジェンスが必要不可欠だからだ。
(中略)
秩序と規律をもって個々の選手がチーム戦術を遂行しつつ、クリエイティビティを発揮する。ステレオタイプ、マニュアル化、予定調和などを寄せつけず、ときには戦術の枠組みから外れることもインテリジェンスだ。個人のエゴではなく勝利をつかむための戦術的逸脱なら、監督は理解を示すはずである。
監督が自らの戦術をチームに浸透させるのは、選手をロボット化するためではない。戦術は技術と関連づけて示されるものだがーー守備に強みを持つ選手が多いチームが、攻撃的なスタイルを志向してもどこかで立ちゆかなく成るーーいずれにしても個々の選手が自ら考えてプレーし、決断することを奪ってはいけない。
これまでと同じことを続けているだけでは、これまで以上のところには辿り着けないものだ。戦術的逸脱があったとしたら、「勝利へのチャレンジ」なのか「自己陶酔の表れ」なのかを、指導者は見極めればいい。そうすれば、選手にかける言葉は決まってくる。
P52
世界との差は、ファイルを引き出す速さ
2009年6月の監督就任当時に比べると、フットサル日本代表の選手たちにははっきりとした変化がある。来日当初に感じた「監督の指示を待つ姿勢」がかなり取り除かれてきた。
変わって優勢を占めてきたのは、「自己判断力」である。まだまだ十分ではないものの、非常に魅力的な変化だ。
選手たち自身で答えを見つけ出して判断するようになり、自分たちでプレーを解読してプレーの状況を先読みできるまでに成長している。
変化の理由を私なりに探ると、トレーニング方法に行き着く。詳しくは4章で後述するが、私が用意するメニューはルーティンワークのようにこなすことはできない。一つひとつの状況に応じて選手自身が考え、解決策を見出すものになっている。
選手の頭のなかに、ハードディスクがあるとしよう。2009年と2010年の2年間は、戦術というファイルとそれを実行する正しいソフトウェアやアプリケーションを選手のハードディスクにインストールしていった。ジャパン・スタイルを確立するための基盤を、選手たちの身体にメモリーしていったのだ。同時に、日本人のメンタリティやフットサル日本代表の強みと弱みを、私自身が身体で感じる時間でもあった。
日本人選手は、学習意欲が旺盛だ。私が話すことを、単語ひとつまで聞き逃すまいとする。彼らのハードディスクがアプリケーションとファイルでいっぱいになっていったのは、選手たちの吸収力の高さがあったからこそだ。判断材料を数多く得た彼らは、私に答えを質問する必要がなくなってきている。
(中略)
だが、世界のトップレベルで安定した成績を残すには、さらに力をつけていかなければならない。
(中略)
フットサル日本代表の選手たちは、ハードディスクを自分で立ち上げ、状況に応じて最適なアプリケーションやファイルを選び出さなければならない。2014年4月の段階で、私は彼らにファイルを引き出す速さを求めている。ブラジル、イタリア、ポルトガルなどの強豪が相手になると、アプリやファイルの選別にどうしても時間がかかってしまう。
プレッシャーがある状況下で、戦術のファイルを選び、効果的に応用することは決して簡単ではない。まだ世界の強豪国とは同等の戦いはできていない。特に攻撃に関してだ。戦術のファイルを選ぶスピード、そしてソフトウェアを実行するスピードが足りていない。
映画の字幕に置き換えると分かりやすい。世界的強豪と対戦した我々は、出演者のセリフと字幕にタイムラグが生じるのだ。セリフはコート上の局面で、字幕は我々の対応である。スクリーンに瞬時に字幕が登場するようにしなければ、ブラジルやポルトガルのような強国と伍して戦うのは難しい・・・が、こればかりは時間が必要だ。トレーニングを積み重ねることで、瞬時に字幕が出るようにするのは可能だと信じている。
国内リーグのレベルが上がり、代表の国際経験が増えれば、試合で要求されることも高まる。我々の考えるレベルは日常的に高くなっていき、ファイルを引き出すスピードも速くなる。
そうしたことがスムーズに実現できるようになったとき、日本のフットサルのレベルは世界の強豪国のレベルに達することができるだろう。
P217
強豪を追い抜くため日本スタイルを確立する。
2016年のFIFAフットサルワールドカップを目ざす私の代表チームも、すでにプロセスの半分が経過した。選手の身体にハードディスクがあるとしたら、私はそこに数多くのファイルをインストールさせてきた。ピッチ上で起こる場面に適合したファイルを素早く起動させ、瞬時にプレーへ反映していくのが2014年現在の段階である。
私はベンチに居て、選手はコートに立つ。私がマウスを操作するまでもなく、彼ら自身がハードディスクをクリックしなければならない。
アジアレベルでは、反応のスピードが上がってきた。彼らのハードディスクは最新版である。ところが、世界のトップ・オブ・トップとの対戦になると、ウィルスに冒されたかのように処理スピードが落ちてしまう。選手の判断より先に、プレーが動いてしまっている。同時通訳のような処理能力を身につけなければならず、そのためにトレーニングがある。
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