【洋画】「ラスト・アクション・ヒーロー/Last Action Hero」(1993)【邦画】「舟を編む」(2013)

2014年10月28日

【洋画】「運命のボタン/The Box」(2009)

[ひと言感想]
「自分の利益と引き換えに他者の利益や生命を台無しにする」。
こうした「運命のボタン」を私たちは、日々何かにつけ無意識に押しています。
かつてビル・ゲイツさんは、「(本当に)怖いのは、どこかのガレージで、まったく新しい何かを生み出している連中だ」と仰いました
私たちにとって本当に怖いのは、善意の第三者に加え、無自覚な自分です。


運命のボタン (字幕版)
出演:キャメロン・ディアス、ジェームズ・マースデン、フランク・ランジェラ
監督:リチャード・ケリー 
2013-06-14




運命のボタン (ハヤカワ文庫NV)
リチャード・マシスン
早川書房
2010-03-26



■「運命のボタン」の原作(「Button, Button」)、並びに、原作者リチャード・マシスンに関する、訳者、小鷹信光氏の解説

P229
パラノイアックな小宇宙
ーーリチャード・マシスンのニューロティックな恐怖世界ーー


リチャード・マシスンは、作中の登場人物を先の予想もつかない異様なシチュエーションのなかに唐突にまきこんでゆく。ハッと気づいたとき、読者である私たちは、いつのまにか、マシスンの恐怖の小宇宙の囚になっている。

『激突!』を例にとれば、私たちは巨大なタンク・トレーラーに追われる主人公にいつしか同化し、いわれのない恐怖心に駆られ、”なぜ殺されねばならないのだ!”という白昼の悪夢にじわじわと締めつけられはじめる。ここで重要なことは、その恐怖が多分に生理的な恐怖であるということだ。

醒めた状態でふりかえってみると、マシスンという作家がくりかえしくりかえし語りかけていることが、”恐怖とはなにか?”なのだということがよくわかる。しかもそれは”現代における恐怖”とか、”日常に対置する異常”といった、社会的視野をもつパースペクティヴなものではけっしてなく、あくまでも己れの閉ざされた小宇宙のなかに、じっととじこもり、しがみついている”個”にとっての恐怖であり、異常なのである。つたわってくるのは作中人物の恐怖心であり、人工的に醸成された恐怖というにはあまりにニューロティックな、作者マシスン自身の恐怖心なのである。それは読むものの生理的感覚を通じて、心の奥深く働きかける。

異常性は、日常と対置したところにではなく、日常のなかに、微妙な”ずれ”としてつねに存在している。そのことに気づくには天啓は必要ではなく、気づくことが彼にとっての天啓である必要もない。微妙なずれや歪みのなかに、私たちは不安定に漂っているにすぎないのだから。そして『激突!』の主人公もまた、一日の悪夢から醒めて日常のなかに戻ってゆく。二度と同じ悪夢はみない、という保障のない日常のなかに。

リチャード・マシスンには、おそらくこの奇妙な”ずれ”を感知する、作家としての能力を超えたセンシティヴな能力が備わっているのかもしれない。

(中略)

マシスンは、彼をとりまいている不確かな影におびえると同時に、自分自身の存在の不確かにもおびえつづけている。とりあえずマシスンにとっては、己れの存在の確認は小説を書くことにあった。二十数年間ひたすらタイプをたたきつづけたのは、そのためなのだ。小説を書くという作業は、彼にとって、自己の確認以外のなにものでもなかったのだ。

(中略)

やはり、『13のショック』に収録されている『次元断層』という作品でも、マシスンは、社会的な、相対的な意味での人間存在の不確かさに触れようとしている。ここでは主人公は、見知らぬ男から、旧知の仲のように話しかけられる。相手は主人公の名前も経歴も現在の勤め先も知っているのだが、彼は相手の顔さえ識別できない。

”自分はだれなのか?”という問いかけを、マシスンは手をかえ品をかえて、執拗に追及しつづけているのだ。それは彼自身への問いかけであり、同時に読者にたいするー-私自身にたいする問いかけでもある。

すっかり職人作家としての力倆が身についたいまも、マシスンは同じ問いかけを投げかけてくる。小箱を持って、ある婦人のもとをおとずれた”セールスマン”が、箱のボタンを押してくれれば、五万ドル無償で進呈するといいおいて帰って行く。これは70年にPlayboyに掲載されたButton, Button(「運命のボタン」)の発端である。

ボタンを押すと、婦人が知りもしない人間が一人、地球上のどこかで死ぬ。ただそれだけのことだと”セールスマン”は説明した。彼女は五万ドルの報酬と、このやさしい仕事をめぐって、反対する夫と口論する。そして、結局彼女はボタンを押してしまう。

彼女のもとに、夫がかけていた生命保険の五万ドルがころがりこむ、というショート・ショート風のオチがここでは重要なのではない。容易に想像がつくこのショート・ショートの幕切れには、もう一つのシリアスなオチがついているのだ。夫に死なれた妻は、”セールスマン”に向かって、半狂乱になってわめきたてる。
「死ぬのは、あたしの知りもしない人間だっていったでしょう!」
そのとき”セールスマン”は、おちつきはらって、こうこたえるのだ。
「あなたは、ほんとうに亡くなったご主人のことを知っていたとお思いなのですか?」

このさりげないセリフのやりとりに、いい知れぬ恐怖感を感じるのは、私自身の異常感覚のせいなのだろうか?

結局この作品解説で私たいいたかったことは、私は完成された職人作家としてのリチャード・マシスンにではなく、青春から現在にいたる二十数年を、内へ内へと自分自身の小宇宙をつきつめてきた男の軌跡に人間的な共感と愛着をいだくようになった、という月並みな感想だけだったのかもしれない。


激突! (ハヤカワ文庫 NV 37)
リチャード・マシスン
早川書房
1999-03-15




kimio_memo at 07:32│Comments(0) 映画 

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