2014年09月01日
【洋画】「父親たちの星条旗/Flags of Our Fathers」(2006)
〔ひと言感想〕
たしかに、「英雄(ヒーロー)=実力者」とは限らず、英雄は「必要に応じて(駆られて)作られる」ものなのでしょう。
英雄は戦時、平時の別なく絶えませんが、それは、私たちが自己正当化に好都合な「物語」を専ら外に求めているからでしょう。
私たちが英雄と物語を一方的に、取っ替え引っ替え消費し続ける限り、悲劇と不幸は絶えないに違いありません。
たしかに、「英雄(ヒーロー)=実力者」とは限らず、英雄は「必要に応じて(駆られて)作られる」ものなのでしょう。
英雄は戦時、平時の別なく絶えませんが、それは、私たちが自己正当化に好都合な「物語」を専ら外に求めているからでしょう。
私たちが英雄と物語を一方的に、取っ替え引っ替え消費し続ける限り、悲劇と不幸は絶えないに違いありません。
【ジョン・“ドク”・ブラッドリー】
戦争とは何か、知った気でいるのはバカだけだ。
特に戦場に出たことの無い連中は。
みんな単純に考えたがる。
「善対悪」。
「ヒーロー対悪者」。
だが、ヒーローにしても、悪者にしても、大抵は我々の思っているようなものじゃない。
殆どの連中は、あそこで何があったのか、語りたがらない。
多分、忘れようとしているんだろう。
彼らは断じて、ヒーローとは思っていない。
殆どは成功と無縁に死に、写真も残っていない。
見ていたのは仲間だけ。
「国のために死んだ」と伝えるが、本当はどうだかね。
あの日は他にも多くの写真を撮ったが、誰も見たがらなかった。
そもそも戦場の光景というのは、その残酷さたるや、想像を絶する。
だが、何とか理解(正当化)しなくちゃならない。
そのために必要なのは、誰にでも分かる事実だ。
言葉など無くていい。
写真の力は大きい。
劇的な写真というのは、時に戦争の勝敗すら左右する。
ベトナム戦争がいい例だ。
南ベトナムの士官が捕虜のこめかみを撃つ瞬間をとらえた写真。
「ズドン」。
あれで、アメリカは負けた。
それを認めず長引かせたが。
同じ日に撮った写真は他にもあったが、歴史を変えはしなかった
(あの日撮られた中のたった一枚の写真が歴史を変えた)。
バカげてはいるが、事実なんだ。
当時アメリカは破産寸前。
国民はいい加減、戦争にウンザリしていた。
一枚の写真が、それだけの力で、状況をひっくり返した。
【内閣参謀】
(この写真を)大手新聞がこぞって一面に載せています。
200を超す地方新聞にも、プリントの要請が殺到しています。
利用しない手はありません。
(使えますよ)。
●
【ジェイムズ・ブラッドリー(※原作者)】
おそらく、父(ジョン)の言う通りなのだろう。
ヒーローなんていうものは、居なかった。
みんな、父と同じような人間だったのだ。
彼らがなぜヒーローと呼ばれるのを嫌がったのか、分かる気がする。
ヒーローとは、必要に応じて(駆られて)、人が作り上げるものだ。
国のために命を犠牲にするという信じ難い行為を理解するために、ヒーローという概念が必要なのだろう。
しかし、父たぎが危険を冒し、傷を負ったのは、仲間のためだった。
国ために戦ったのかもしれないが、死んだのは友だちのため、全線ですぐ傍に居た男たちのためだ。
彼らの栄誉を称えないなら、本当の姿を覚えておくべきだろう。
父がそうしたように。
