【第55期王位戦第四局】羽生王位、「新手」△6四歩で木村挑戦者を下す【洋画】「エンド・オブ・デイズ/End of Days」(1999)

2014年08月25日

【脳科学/人生訓】「努力不要論」中野信子さん

P95
なぜ欧米には努力中毒が少ないのか?

欧米では滅私奉公的な努力をせよという社会的な圧力が、あまりかからないように思います。ただ、圧力があったとしても、それをものともしないような、鈍感な人が多いのも事実です。こうした鈍感さ、敏感さの違いは、遺伝子の違いでもある程度説明がつけられます。

具体的には、セロトニントランスポーターの密度が違うのです。

セロトニントランスポーターとは、神経細胞がいったん放出した「幸せホルモン」などとも呼ばれるセロトニンを再取り込みするポンプのような役割をするタンパク質です。セロトニンをリサイクルするシステムの一部ですね。セロトニントランスポーターが多いと、どんどんリサイクルできるので、セロトニンを脳で効果的に使いまわすことができるのです。

遺伝子の違いによって、セロトニントランスポーターが多い人と、中くらいの人と、少ない人の3タイプに分けられます。つまり、たくさんのセロトニンが使える人と、中ぐらいの人と、あんまり使えないタイプの人です。

日本人はセロトニントランスポーターが少ないタイプのほうが圧倒的に多く、7割ぐらいがこのタイプです。欧米人を対象にした調査ですと、セロトニントランスポーターが少ない人は2割以下しかいません。

一方、セロトニントランスポーターが多い人の割合を見てみますと、日本人は2%ぐらいしかいないのに、欧米人は30%ぐらいいます。

では、どんな違いが表れてくるのか?

じつはセロトニントランスポーターが少ない人はセロトニンが少ないので不安になりやすいのです。

他人に「そんなのおかしいよ」とか、「あなたは努力が足りない」などと言われると、「そうかな、私が悪かったのかな」と不安になって、自分の主張を貫くことが難しくなり、流されてしまうことがしばしばです。一方で、損害を回避しようとする傾向も高いので、コミュニティの空気を敏感に察知したり、他人に合わせたりという行動はとても得意です。

空気を読む、ということには集団における多人数の協力を促すという意味で、一定の価値はあり、生存に有利に働いたという環境も確かにあったのです。

しかし、今は鎖国している時代でもありませんし、海で隔てられているとはいっても、簡単に海外に行ける時代、国外と国内は徐々にシームレスになってきています。つまり現状、日本人の慎重さや空気を読む力というのも、あまり生存に有利に働く要素ではなくなってきているということです。

また、セロトニンは戦う・喧嘩する・逃げるためのノルアドレナリンの分泌を抑える働きがあります。セロトニンが少ないとノルアドレナリンが出やすくなるわけです。

こうした脳内神経伝達物質の動態が基本にあって、慎重で人の言うことをよく聞き、空気を読むけれども、我慢して我慢してキレてしまう日本人の国民性ができあがるのです。


だから日本人は0から1をつくれない

アメリカ人とそれなりにやり取りをしたことのある日本人からは、「彼らは明るくていいやつなんだけど自分語りが多いしいつもポジティブすぎてちょっとウザいところもあるかな・・・」という感想をしばしば聞くことがあります。

「全然人の話を聞かねえな」とか、「あんなに説明したのに、何で自分のやりたいようにして返すんだろう?我が道を行きすぎている」とか、「自分語りしかしないんだったら最初から人に話を聞かなければいいのに・・・」というようなことも聞きます。日本の社会通念とはちょっと違う振る舞いをするので、面白いですね。

これも、セロトニントランスポーターが多いタイプがたくさんいる国なんだと考えると、彼らの行動に納得がいきます。

共感能力が欠如しているわけでもなく、とても陽気で楽しい人たち。だけれども、「自分の考えが間違っているかも」というフィードバックはあまりしないようです。

セロトニンがたくさん使えるので、さして不安になることはないし、ノルアドレナリンの量が少ないために、緊張してあがることもあまりない。将来的なリスクについてもやや過小評価気味に行動します。そして、失敗してもあまりへこたれません。

一言で言えば楽天的な人たちです。本人は人生が楽しいでしょうが、周りにもし心配性な人がいたら、その人はちょっと大変ですね。

彼らはリスクを恐れないので、0から1をつくるのがとても得意です。また、周りの人の批判が耳に入ってきても、悠々とスルーしてしまいますから、「こんな商品があったらヤバイよね?」という冗談みたいな発想で、イノベーションを起こすことが得意です。

もちろん、創意工夫や発想力という点では、日本人も引けを取るものではありません。イノベーションを起こすポテンシャルはあるのです。

しかし、なぜ日本でイノベーションが起こりにくいかというと、「そんなのつくっても売れないよ」と言われたときの心理的な反応が違うからなのです。

ネガティブな反応が起こると気持ちが落ち込んでやる気がなくなってしまう。「あなたの言っていることはおかしい。間違っている」と言われたときに、気になって足がすくんでしまい、次の行動を起こせなくなってしまったりする。だから0から1を生むというのは日本人はちょっと苦手なんです。

決してひらめきがないわけでも発想がないわけでもありません。ただ、周りの空気に敏感であるあまりに、素晴らしい発想が潰されてしまうのです。

一方で、日本人の得意なことは、1があったときにそれを100まで磨き上げることです。弱点を見つけて改良するといった場合の工夫は非常に得意です。

というか、セロトニントランスポーターの密度でいえば、日本人が世界で一番心配性で、今あるものの弱点を見つけることに長けている国民です。これほど工業製品の品質が高く、サービスが行き届いているのは、この性質のおかげだともいえるのです。こんな素晴らしい国は世界のどこにもありません。

ですので、もし自分は0から1をつくるのが苦手だなと思ったら、無理に「イノベーションしなければ」なんて考えて、新しいものをつくろうとしなくてもいいのです。何か今すでにある種を見つけて100まで育てる作業をすると、世界一の仕事につながりやすいでしょう。

それが欧米と日本の努力のあり方、戦略の違いです。適性にあった努力の仕方が必要です。

私は中野信子さんのお考えを、以下読み解いた。

「日本人は凡そ、報われようと報われまいと、目的や戦略が適切であろうなかろうと、努力が好きである。
否、努力が好きというより、不安と悲観が絶えないため、何かしら努力せずにはいられない、『努力中毒患者』である。
なぜか。
脳科学的には、セロトニントランスポーターが少なく、リスクに過敏だからである。
この点は、セロトニントランスポーターが多く、リスクに鈍感で、他者評価を真に受けず(寛容に受容でき)、自己肯定と楽観が絶えない欧米人と対照的であり、イノベーションの不得手さ、また、カイゼンの得手さにも通じる。
なぜか。
『0から1を創る」』イノベーションはリスクに過敏だと、発想しても具現を躊躇してしまうが、『1を限りなく100に近づけていく』カイゼンはリスクに過敏だからこそ、着目も進捗も躊躇なくできるからだ。
然るに、不向きなイノベーション事(ごと)ではなく、向いているカイゼン事に傾注し、報われ難い努力を最小化すること。
そして、『項羽と劉邦』の劉邦の様な人間に成り、デキる他者に慕われ、代わりに努力してもらうこと。
更に、努力というリソース消費を極力減らし、浮いたリソースを後悔の少ない人生に充てること。
これこそが、日本人のあるべき努力とその戦略(アプローチ)として最適である」。

項羽と劉邦全12巻箱入 (潮漫画文庫)
横山 光輝
潮出版社
2002-10-01

中野さんのお考えの内、前半の「セロトニントランスポーター」云々については大いに膝を打った。
「セロトニントランスポーター」は未知だったが、その体内物質の多寡とリスク感受性の強弱の相関関係、並びに、国民性におけるその効用と不効用については成る程と思ったし、大変合点がいった。
だが、後半の「日本人のあるべき努力とその戦略」については理解はできるし、ロジックも間違いではないと思うが、「イノベーション事が得意な人(=イノベーター)と相思相愛→コラボし、努力は得意なカイゼン事に専門特化→最小化すべし」との結論には賛成しかねる。

なぜか。
理由は二つある。
一つは、「イノベーター」と「カイゼン者」のコラボは、たしかに理屈ではアリなのだが、現実は非常に難しいからだ。
たとえば、日本の「企業内ベンチャー」は大抵失敗しているが、それは、「カイゼン者」である企業経営者と「イノベーター」であるベンチャー社長とでは、生き様や人生観が余りにかい離し、相思相愛の持続が困難なことが大きい。
そして、肝心のもう一つは、日本人はもはやカイゼンでは食えないからだ。

カイゼンで食うには、即ち、カイゼンをビジネスにするには、「薄利多売」という出口(イグジット)を押さえなければいけない。
然るに、カイゼンビジネスにはいくつか条件がある。
大量生産、大量販売(※フランチャイズもOK)が可能なこと。
コストが低いこと。
商品(カテゴリー)、並びに、マーケットが短命ではない(→寿命がソコソコある)こと、だ。

しかし、今、ガラケーからスマホへのシフトがとどまる所を知らないように、一つの商品、及び、そのマーケットの寿命は年々短命化を増している。
マーケットが右肩上がりのスマホにしても、競合がワールドワイドで熾烈を極めている。
既存商品をちょっとやそっとカイゼンしただけでは、このマーケットでの大量生産、大量販売は不可能だ。
しかも、日本の場合、人件費を主にコストが高くつく(→価格競争力が限られる)からして、尚更だ。
日本は、ソニーあたりが、iPhoneをカイゼンするのではなく、アップルに先んじて創らなければ(イノベートしなければ)いけなかった。

クレイトン・クリステンセン教授が名著「イノベーションのジレンマ」で明らかにしたことの一つは、「合理的な思考、並びに、経営が(破壊的)イノベーションを動機的に、ひいては、機会的かつ視界的に遠ざける」ということだ。
中野さんのお考えに基づけば、「機会的に遠ざける」のは、「リスクに過敏」であることの表れだろう。
だが、「視界的に遠ざける」のは、「自分の(限定的で貴重な)リソースが無駄に減りかねない」という意味で、「リスクに過敏」であることもさることながら、「ものぐさ」であることの表れとも言えるのではないか。
もしそうなら、「リスクに過敏」な私たち日本人が、不向きなイノベーション事に適切な努力を傾けるには、食虫植物が栄養不足に追い込まれ虫を捕食するよう突然変異したように、ものぐさを許す豊かさと決別し、自分を積極的に追い込むしかないのかもしれない。



努力不要論
中野信子
フォレスト出版
2014-11-01




kimio_memo at 07:03│Comments(0) 書籍 

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
【第55期王位戦第四局】羽生王位、「新手」△6四歩で木村挑戦者を下す【洋画】「エンド・オブ・デイズ/End of Days」(1999)