2014年07月31日
【BSTBS】「みんな子どもだった/7月ゲスト岡田武史さん第4話」岡田武史さん
【倉本聰さん】
しくじった選手とか、自分の意に反した行動を取った選手に対して、試合終了後とかに、怒ります?
【岡田武史さん】
怒る時と怒らない時があります。
【倉本さん】
それは人を見て(判断するの)?
【岡田さん】
人もだし、何回もおんなじことをやる(時に怒ります)。
僕ね、一回目はね、あんまり怒んないですね。
ただ、気づかします。
「おい、お前、なんでアソコ、あーした?で、今どう思う?」、と。
というのは、僕はやっぱり、すごい頭ごなしだったですよ。
「おいお前、こーやれ、こーやれ、こーやれ」、って。
そうするとね、ある程度までバーンって伸びるんですよ、チームって。
ところが、ここから上に全然行かなくなったんですよね。
で、「なんでだろう?」って悩んで、それで僕、ドイツに留学したんですけれど、そして、ある人にこう言われたんですよね。
「岡田さん、指導ってね、空のコップに水を入れることじゃないんだよ。
中に入っているモノを(先ず外に)出してやる(ことなんだよ)。
『エデュケーション(education)』の語源はラテン語で『エデュカーレ』って言って、これは『引き出す』っていう言葉なんです。
岡田さんは、(指導って)空のコップに何か入れることだと思っているでしょ」、と。
(だけど、僕はこう反論したんです)。
「いや、でも、(中に有意義なモノが何も)入っていなかったら、どうするんですか?」(、と)。
(すると、その人に、)「自分で気づかして、入れさすんです。あなたが入れるんじゃないんです」って言われたんです。
すごい衝撃で、それから考えて、それ・・・、それでもやっぱりね、イライラして(「こーやれ!」って)言っちゃうことがあるんですよ。
「あー、イカン、イカン、イカン」って思うんだけど。
でも、できるだけそうするように努力したんですよね。
岡田武史さんがドイツ留学時代に授かった訓話は、私にもすごい衝撃だった。
なぜか。
指導(教育)の本質が「対象者に気づきを与えること」であるのは気づいていたが、その要件が「既に対象者の中に入っているモノを引き出すこと」であるのは気づいていなかった、否、意識になかったからだ。
たしかに、指導が不発に終わるのは、対象者に新たな最善解を案出、及び、実行するに足る気づきを与え損なった場合が多く、その過半は、彼らの既存の最善解を外に引き出していないこと、即ち、彼らに新旧の最善解のジレンマを解消させてないことが元凶だ。
赤ん坊でも無い限り、老若男女問わず、人は既に自分というコップに何らかの水を入れている。
新たな水を取り入れるには、先ず既に入っている水を外に出さねばならない。
指導とはその誘発、並びに、助力であり、実行する際は予め、対象者がこれまで取り入れた水と取り入れた行為に敬意を払う必要があろう。
★2014年7月27日放送分
http://www.bs-tbs.co.jp/minnakodomo/archive/201407.html
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