2014年07月30日
【自転車ロードレース】「敗北のない競技:僕の見たサイクルロードレース」土井雪広さん
P37
生意気
(前略)
「好き勝手しやがって、生意気な奴だ」
生意気。
僕にいつもつきまとう形容詞だ。僕はずっと生意気だった。
日本は引き算の国だと思う。100点満点の理想形があって、その枠からはみ出るたびに減点。でも、強い選手は皆、自分で考えて動く。それは0点から出発して、だんだんと点数を積み重ねるということ。目標を自分で決めて、そこに向かって自分で動く、という当たり前のことができない選手がすごく多かった。そういう奴は、強くても沈んでいった。
フィジカルなんて二の次でいい。大切なのは、どうしたらどうなる、ということを考えること。フミ(別府史之)も、ずっと計画的に動いていた。プロになるためにフランスに行く。
シマノに行きたいから、大学に行く。そういう目標があれば、モチベーションは上がるし、外野に何をいわれても気にならない。
自分で動いてどんどん点数を稼いで積み重ねないといけない。
そういう若い奴を、日本では生意気って言うのかもしれないけれど。
「日本は引き算の国」。
世界を知る土井雪広さんのこのお考えは説得力があり、かつ、考えさせられる。
たしかに、日本は既存の理想を100点満点と決め付け、その踏襲を後進に強いる環境文化があり、従属しない人は「協調性が無い人間」や「変わり者」の烙印を押され、社会的に抹殺される場合が少なくない。
この環境文化は、社会というハコモノの秩序を維持するには有益だが、タコツボ化したハコモノを救うには害悪だ。
日本にイノベーションが乏しいのは、この環境文化と無縁ではない。
イノベーションは、既存の理想の異議申立てと再定義のてん末だ。
私たち一人一人がこの環境文化を先ず異議申立て、再定義していかなければ、日本にニバリやキッテルの様な世界で勝てるロードレーサーも、Googleの様な世界に広くあまねく使われるサービスも生まれ出ないだろう。
P158
ツイートのこと
(前略)
日本のファンはどうして、ロードレーサーだけが聖人君子だと信じているんだろうか。スピード違反を犯したことがない人は少ないと思う。サービス残業がゼロの会社はどれだけあるだろう。処世のための嘘をついたことが、ただの一度もない人はいるんだろうか。
少ないと思う。
それなのに、どうしてロードレーサーだけが清廉潔白な心を持っていると思えるのか、ましてや、ヨーロッパのプロトンでは、薬物を使うことは「カルチャー」にすらなっている。
そんな世界で”勝ち”だけを執拗に求められた時、選手は何を考えるかーー。
あるいは、こうも思う。
グランツールのプロトンは、「どんぐりの背比べ」だ。皆、若い時に結果を出して、選別されてからプロになる。もちろん脚質の違いや、パワーの強い・弱いはあるけれど、プロトンには極端に強い選手も弱い選手もいない。弱ければプロにはなれないし、皆、いわば「トップアスリート」という規格品なのだ。ずっと1000wのパワーで走り続けられる奴はいない。そのせめぎ合いの中の微妙なところで争うのがプロの戦いだ。中にはずば抜けて強い選手もいるけれど、それは「例外」とは考えられないか。
アスリートも人間だ。
ある選手が、急に強くなったり、弱くなったりしたら、それは少しおかしいんじゃないか。僕もヨーロッパに行ってだいぶ強くなった。けれど、それは8年かけて少しずつフィジカルが向上した結果であって、1年でいきなり走れるようになったわけじゃない。一般的な仕事も同じじゃないだろうか?昨日までダメ社員だった奴が、急にバリバリ働くようになれるだろうか?アスリートも一緒だ。奇跡は起きないし、奇跡に見える現象の裏には、たいがい何かカラクリがある。
ファンは、僕らアスリートに奇跡を求める。
しかし、申し訳ないけれど、僕たちも同じ人間だ。期待どおりに奇跡を起こすことはできない。
最近の僕はむしろ、本当は奇跡なんていらないんじゃないか、とも思う。それは、奇跡に頼ることを必要としない、「規格品」同士の戦いが生んだドラマをたくさん見てきたから。
ヨーロッパの8年間は、毎日が奇跡なしのドラマだった。その毎日を積み重ねた先に、たとえばブエルタや、そこでのエースの勝利がある。それは、どんな奇跡よりもドラマチックだと思う。奇跡を体験したことはないから断言はできないけれど・・・。
世の中には奇跡はないし、汚いことをする奴もいることはいる。それは一般人もアスリートも一緒だ。けれど、そんなリアルで一見平凡な毎日にこそ、ドラマが隠れている。そのことに気付くことが、幸せな大人になる手段なのかもしれない。
P181
夢の先
日本のファンがロードレースに何を求めているかは、僕もわかっているつもりだ。フランスやイタリアやスペインの美しい景色の中を駆け抜けるプロトン。信じられないパフォーマンスで、奇跡的な勝利を手に入れる選手。
ファンはそういう、日常から離れた綺麗な物語を見て希望を貰って、次の日の仕事に向かうんだと思う。多くのファンが元気を貰うためにレースを見ているんじゃないかな。
非現実的な夢物語ほど、ファンは喜ぶ。
それは、現実が綺麗じゃないせいかもしれない。会社じゃ嫌な上司にペコペコしなきゃいけないこともあるだろうし、ルールを破る奴も出てくるはずだ。レースを見ている間くらいはそんな汚い現実を忘れたい。それがスポーツというものなのかもしれない。
けれど、映像のこちら側にある現実は、実は夢物語じゃない。僕らの現実は、決して綺麗ではない。
どうしてアスリートだけが清廉潔白だと思われるのだろうか。
僕たちだって人間なのにーー。
綺麗な話や夢物語は確かに感動的だし、希望を貰える。でも、それだけじゃリアルじゃない。そろそろ、その先にある現実を見てもいいんじゃないか。
ゴールまで1時間を切って縦に伸びはじめたプロトンの中で、何が起こっているのか。どうして急にパフォーマンスを上げる選手がいるのか。僕は、そういうことまで考えつつレースを見る。
影を見たくない気持ちは、正直言ってわかる。たとえば、ドーピングなんてない方がいいに決まっている。
でも、それがあることははっきりとしてしまった。ならば、より深く愛するためには、そこも含めてしっかりと見つめないといけないんじゃないだろうか。
好きな女の子を遠くから眺めているのは楽しい。でも、それだけでいいんだろうか?僕なら声をかけたいし、付き合いたいとも思う。そのうち、一緒に暮らすことになるかもしれない。
一緒に住むようになったら、どんなに綺麗な子でも、綺麗ごとじゃ済まなくなる。すっぴんの顔を見ることもあるだろうし、同じトイレを使わないといけない。幻滅することだってあるだろうし、ケンカだってする。
でも、それは深く愛することの代償だ。
土井さんのお考えは、「ファンには自転車ロードレースを、奇跡事溢れる感動コンテンツではなく、トップアスリートのスポーツコンテンツとして純粋に買って欲しい」ということだろう。
土井さんのお考えは理解できるし、同意できる部分もあるが、この世に売られている全てのモノ、サービスの根源価値は「感動」であるからして、ファンが自転車ロードレースを感動コンテンツとして買うのを否定するのは違うと思う。
土井さんの問題意識は、野球、F1、将棋、映画といった非必需品の所謂「エンタメコンテンツ」にとりわけ通じるが、この問題を根本的に解決するには、「いかにして、コンテンツの肝を心得た(=本来価値の正しい評価眼を身に付けた)『スマートカスタマー(=賢明なお客/ファン)』を一人でも多く育成するか?」に尽きると思う。
かつて長嶋茂雄三塁手がイージーゴロを猛ダッシュで転がりながら捕球したのは、広岡達朗遊撃手の様にいち早くダッシュし、真正面で捕球した場合と比べ、遥かに奇跡事に見えるからだ。
つまり、エンタメコンテンツの多くが奇跡事を求められる、否、強いられるのは、既存顧客の過半の価値評価眼が狭量かつ貧弱な余り、さもなくば感動、満足されない(→再購入されない可能性が高くなる)からだ。
顧客の過半をスマートカスタマーに育て上げ、奇跡事とや真逆の、一見平凡で見過ごしかねない箇所に彼らが感動できるようになれば、プレイヤーやディレクターが奇跡事作りに余計なリソースを割かず済む分、コンテンツの総価値が高まるのは勿論、一層感動、満足される(→再購入される可能性が高くなる)のではないか。
kimio_memo at 06:56│Comments(0)│
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