【洋画】「ハート・オブ・ウーマン/What women want」(2000)【第55期王位戦第二局】羽生王位、木村挑戦者の一目好手を正しく咎め、一勝一敗のタイに

2014年07月24日

【人生訓】「GIVE & TAKE 『与える人』こそ成功する時代」アダム・グラントさん

P109
「見返りのために、人に親切にするんじゃないんです。グループの目標は、与えることの大切さを行きわたらせること。取引する必要もなければ、交換する必要もありません。だけど、グループの誰かに親切にすれば、自分に助けが必要になったとき、きっとグループの誰かが親切にしてくれますよ」

テイカー(taker)とマッチャー(matcher)には、このような徹底したギブ(give)はやはりちょっと危険に思えるだろう。では、リフキンのようなギバー(giver)には、自分のした親切が自分に返ってくる保証がなくても、生産性を維持できるのだろうか。

この疑問を明らかにしようと、スタンフォード大学のフランク・フリン教授は、サンフランシスコのベイエリアにある大手電気通信会社のエンジニアに調査を行った。教授はエンジニアたちに、どのくらい自分が同僚を助け、また相手に助けてもらっているか、自分自身とお互いを評価してもらった。この結果、どのエンジニアがギバーで、どのエンジニアがテイカー、あるいはマッチャーかがわかった。教授はさらに、各エンジニアに、ほかのエンジニアを1から10までの段階に分けてランクづけしてもらった。さて、彼らはどのくらい同僚のことを認めているのだろうか。

テイカーは最下位だった。しょっちゅう頼み事をするくせに、めったにお返しをしないため、信頼がないのだ。同僚は彼らを利己的な人間とみなし、敬意を払わないことで懲らしめていた。そしてギバーが、マッチャーとテイカーを抑えてトップの座を獲得した。寛大であればあるほど、同僚からいっそうの尊敬と信望を集めていた。

受けとるより多くを与えることで、ギバー特有の能力や価値観、善意を身をもって示していたのである。しかし、ギバーは非常に尊敬されていたものの、問題が一つだけあったーー生産性を犠牲にしていたのだ。

三ヶ月にわたり、フリン教授は、各エンジニアが仕上げた仕事の質と量を評価した。ギバーはテイカーより生産性が高く、テイカーより勤勉で、より多くの仕事を仕上げていた。だがもっとも生産性が高かったのは、マッチャーだった。ギバーは同僚を助けるのに時間を費やしていたため、その分、仕事や報告書、製図を仕上げる時間が減ってしまったからだ。

それに対してマッチャーは、頼み事をしたり、助けてもらったりして、仕事を予定どおりに進めていた。

一見したところ、これはギバーのネットワーク構築法がもつ弊害のように見える。ギバーが自分の生産性を犠牲にしてまで人助けをしたところで、果たしてそれだけの価値があるのか。

リフキンはギバーであると同時に、成功した会社の共同設立者として高い生産性を維持している彼はどのようにして与えることと生産性との折り合いをつけているのか。そのカギは、「より多く与えること」なのである。

このエンジニアの調査では、実は、ギバーは必ずしも生産性を犠牲にしていたわけではなかった。フリン教授はエンジニアに、自分が受けとるより多く与えているか、同じくらい与えているか、それとも少なく与えているかという観点で同僚を評価してもらっていたからだ。これはつまり、ほかの人をあまり助けなかったとしても、得た見返りが少なければ、ギバーとして判定される可能性があるということだ。フリン教授が、エンジニアがどれくらいの頻度で助けたり助けられたりするかをもとにデータを調べた結果、ギバーの生産性は、まれにしか助けなかったときにガタ落ちしていた。

逆に、リフキンが「五分間の親切」をするように、頻繁に助けていたときのほうが、信頼関係が築かれ、助けた人からだけでなく、作業グループ全体から有益な助けが得られていたのである。すべてのエンジニアのうち、もっとも生産的だったのは、しょっちゅう助けていた人びとで、受けとるより多くを与えていた。彼らは正真正銘のギバーで、最高の生産性と最高の地位を手に入れ、同僚から尊敬されていた。これこそまさに、リフキンに起こったことなのだ。

著者のアダム・グラントさんが言うギバー(giver)は、単なるお人好しや世話好きの「自己犠牲者」ではない。
ギバーは「他者に与える人」であると同時に、「事を為す人」であり、自分の生産性を犠牲にしないのだ。
では、ギバーはどうして、自分のリソースを積極的に他者に与えながらも、自分の生産性を落とさずに済むのか。
答えは、「より多く与える」からだと言う。
言われてみると成る程であり、物事をやる上での「集中と徹底」の意義を再認識させられたが、これは条件が付くのではないか。

その条件とは、「より多くの人に」と「より有意義なリソースを」ではないか。
単に自分のリソースを他者により多く与える、大盤振る舞いするのではなく、より多くの人に、より有意義なリソースを与えて初めて、自分が失ったリソースを埋め合わせしてくれる人と、埋め合わせしてもらえる質量が担保され、生産性を維持、或いは、向上できるのではないか。
実力者が多忙を押してテレビに出たり、自著を上梓するのは、はたまた、それが長続きしないのは、そういうことではないか。
ギブアンドテイクの成否は、他者志向に加え、実力と袖振り合う縁の質量に依存するのではないか。







kimio_memo at 07:28│Comments(0) 書籍 

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