【洋画】「アース/Earth」(2007)【邦画】「スイートリトルライズ」(2010)

2014年01月17日

【BSTBS】「みんな子どもだった/12月ゲスト加藤登紀子さん第4話」加藤登紀子さん

【加藤登紀子さん】
私は、ホント、気がついてなかったと思いました。
当然、だって、彼(=夫/藤本敏夫さん)は(これまで)刑務所に居て、出てきた(ばかりな)んだから、収入が無くても当たり前じゃないですか。
だから、私がちゃんとしなくちゃいけないと思うから、一所懸命やっていただけで、それが彼を苦しめるとは、まさか思わないでしょ。
で、それで、二人目の赤ちゃんができて、ちょっと大きい部屋があった方がいいわね、とか、ベビーシッターさんも必要ね、とか、もうちょっと部屋がある所へ引っ越しましょう、とか、とにかく一所懸命、かいがいしく頑張っていたわけですよ。
ところが、それが暴発するんですね、彼の中で。
癇癪っていうか。
「お前の金をドブに捨てろ」とか、急に言い出すっていう。
で、その時に、「私はこんなに一所懸命やって(いる)。(それに)あなたは好きなことをしていい。革命家なんだから、好きなことをしていい。それなのに、なんでそんなことに苦しむの?」って思って。
それは、「そうか、男ってそういうこと、堪えられないものなのかな」って思って。

【倉本聰さん】
そりゃあ、あるよね。
そりゃ、あると思う。

【加藤さん】
で、結局、もう一つは周りで、「お前は、何か偉そうなこと言っているけど、所詮、彼女に食わしてもらっているんだろう」みたいな視線がありますね、社会の。
それで、その両方を感じて、彼はついに、「農民になるんだから」って、「農民の側に立ちたい」っていうことで、いよいよ「一緒にゼロから始める時だ」って・・・

【倉本さん】
そして、鴨川へ行くわけ?

【加藤さん】
はい、「鴨川に行こう」と。

【倉本さん】
千葉県の・・・

【加藤さん】
「ここからもう始めよう」と。
三人子どもがもう居ましたけど。
(ただ、私は、)その時に、「いいんじゃない」って同意してたくせに、いよいよ家を探し始めた時に、ハッと、「これは無理」って思ったんですよね。(笑)

【長峰由紀アナ】
どうして一緒に行かなかったんですか?

【加藤さん】
色々理由はあるんですけど、私、運転できない。
家を探しに行っているうちにね、(これから移り住もうとしている所は相当の)田舎って(分かったんですよ)。
(すると、)「こんな所に(実際に)住んだら、どうなるのか?」っていうリアルなことが、色々浮かんできて。
直截的(な理由)には、蜂に刺されたってのがあるんです。(笑)
こんなに腫れてきちゃったんで、「心配だから、薬つけたい」って言ったら、「薬屋さんまで車で30分(かかる)」って言われたんですね。
「ああ、(ここに移り住んだら、)そういう現実の中、生きていくんだ」って思った時に、「無理」って思ったの。
で、三人子どもが居て、まだ生まれたばっかりの子どもも居て、「(本当に移り住んだら)、彼が『じゃ、ちょっと東京行ってくるわ』って言ったら、彼は2、3日帰ってこないかもしれない。その間、私はどうするんだろう」とかね考えていったら、「無理」って思ったの、一晩で。
(そこで、)朝起きた時に、「ねえ、私は行けないから」って言ったら、彼は怒りましたね。
2、3年、自分の中のモヤモヤを抑えて、抑えて、どうにか我慢してきたのが抑えられなくなって、「(彼との結婚生活は)もう終わり、終わりだ」ってなりました。
(でも、私がこの時こう思ったのは、悪くなかったと思う。)
要するにね、夫婦って、バランスを取るんだと思う。
私、もしあそこで付いて行ってたら、私たち、ちょっとマズかったかもしれないと思う。
大変ですよ、彼だって、田舎に行って。
だから、私は、最終的に別居結婚の様な形で、彼も半年くらいで納得して、鴨川と東京に家を作って・・・

【倉本さん】
「二つの船」という言い方をしているね。

【加藤さん】
はい。
最初は、「二つの船なんてありえない。一つの船に船頭一人だ」(って言ってたんですよ、彼は)。
(私は)「革命家の言うことかしら」(って思ったんですけどね)。(笑)
でも、そういう彼が好きだった部分もありますね。
だから、「(金を)ドブに捨ててこい」って(言われた時)、「カッコいいじゃない」って(思った)部分もありましたよね。
だけど、「馬鹿」って思いましたけど。
「そんな、ドブに捨てるほどお金無いわよ」って思いましたし。
「ちゃんとやらなきゃ」って思ってね、頑張っているわけだから。
「そんな、ドブに捨てるようなお金稼いでいるわけじゃないよ」っていうような気持ちとか。
やっぱり、子どもを持ちながら歌ってるっていうことに対しては、彼は否定はしなかった。
(彼は)「歌はやめろ」は言ったことがないです。
だけど、だから私はね、(彼が)「もう終わりにしよう」って言った時に、「そうしよう」って思ったんですよ。
「そんなにね、女房が私であるためにね、社会的にも、『アイツに食わしてもらっているんだろう』とか言われるんだったら、私が居ない方がいいよね。そんなことのために無駄な苦しみをするんだったら、居ない方がいいよね」って思って、(私と彼の)二人は、「別れよう」っていうことになったんです。
なっちゃうんです。話し合うと必ず。

それで、(同じやり取りが)何度もあったけど、最終的に「もうそうしよう」っていうことが決まった年の暮れに、(彼が)「じゃ、俺は(家を)出るから」って(言ってきたんです)。
で、その時に、(私は)「お願いだから、正月だけ居て」って言ったんです。
「正月にね、そんな寂しい正月できないよ。だから、正月だけ居て」ってお願いしたっていうだけど、言ったんです。

(すると彼が)、「じゃ、正月までな」っていうことで、正月はみんなでお祝いして。
で、できるだけ子どもの前では喧嘩しないけど、お互いには知らん顔しながら正月を過ごしたんですけど、それは結局、時期を外したっていうか、結局、春までズルズルと。
まあ、その後に私が出ました家を、一回。
その家を。
「あなたが出て行くのは寂しいから、私が出て行くことにしよう」って。
で、子どもと一緒に母の方に行って。
そしたら、なんとね、プラっと帰ってきたんです、男は。(涙笑)

【倉本さん】
男は。(笑)

【加藤さん】
「やあ」みたいな感じで
「久しぶりだね」みたいな感じで。(涙笑)


【長峰アナ】
ものすごくドラマチックというか。
その時は、いい(んですか)、受け入れるんですか?

【加藤さん】
その時は嬉しかったなあ。
それはね、もう、夜抱き合った時のことは、今でも覚えてますね。
「ああ、こういうものだ」と思いました

こんなこと(これまでこんな公の場で)言ったことないのに。(涙笑)

私は、過日「昨日までの世界(著:ジャレド・ダイアモンド)」という本を読んだ。
本書は、私たち日本人の様な、大多数かつ非地縁を旨とする近代社会民族と、ニューギニアの奥地に生息する、少数かつ地縁を旨とする伝統的社会民族の生活習慣を比較考察したものだが、予想外に考えさせられた。

中でも、交通事故の収束方法の違いには考えさせられた。
というのも、後者の民族は、白黒決着つけることではなく、禍根を断つことに力点を置くからだ。
彼らは、私たち近代社会民族と異なり、構成員が少数かつ地縁的な民族である為、事故後も当事者や関係者同士が高確率で顔を付き合わせてしまう。
然るに、白黒決着つけること、即ち、過失を割り出して被害者と加害者を区分し、各々の責任を明確にすることに力点を置かず、怨恨を断ち、復讐を回避すること、具体的には、謝罪と鎮魂のプロセスを粛々と社会的に進めていくことに力点を置くのだ。



「問題には、善悪と原因(→責任)の合理的な追求で対処すべし」。
幼い頃からこう躾けられてきた近代社会民族の私にとって、たしかに、彼らのこの「敢えて白黒決着つけない」、「敢えて白黒曖昧にする」という生活習慣、及び、知恵は驚きだったが、同時に、少なからず成る程だった。
というのも、人間の本望は、心身が過剰に脅かされることなく、平穏に日常を送り続けることであり、白黒決着つけることはその手段を超えないからだ。
白黒決着つけることを本望として誤解、最優先し、絶えず裁判や戦争といった争い、喧嘩に執心の上、心身を過剰にすり減らしている私たち近代社会民族は、目的と手段、並びに、物事の序列の見境がついていないのかもしれない。
もしくは、構成員が大多数かつ非地縁的であるのをいいことに、自分の利権、否、自己愛に偏執しているのかもしれない。

ともあれ、私は、加藤登紀子さんの離婚回避劇の述懐から、寅さんの「それを言っちゃあ、おしまいよ」とバカボンのパパの「これでいいのだ」の名台詞を思い出すと共に(笑)、この「敢えて白黒決着つけない」、「敢えて白黒曖昧にする」意義と効用を再認識した。
そうなのだ。
夫婦とは、人間とは、こういうものなのだ
私は、争った他者に、喧嘩した妻に、「やあ」と、笑顔で再会しなければいけない。



★2013年12月22日放送分
http://www.bs-tbs.co.jp/minnakodomo/archive/201312.html
 

kimio_memo at 07:48│Comments(0) テレビ 

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