【日本経済新聞社】「第61期王座戦第三局▲中村太地六段△羽生善治王座」渡辺明竜王【洋画】「アメイジング・グレイス/Amazing Grace」(2006)

2013年10月07日

【人生訓】「間抜けの構造」ビートたけしさん

P184
占いにはまる芸能人が多い理由も、この世界が結果論だからだよね。おいらは信じていないけど。

なぜ芸能人が占い師とかあやしい神様にはまるかというと、どうして売れたかが自分でもよくわからないからなんだ。理由なんて頭でいくら考えてもわかるはずがない。

「実力があったから」なんて言う人もいるけど、実力なんてたかが知れている。だったら、実力があっても売れないやつの説明がつかない。実力以上の何かがないと、そこそこは売れるかもしれないけど、大ブレークはしない。嘘でもその理由を教えてほしくて、あやしいスピリチュアルとか占いにはまるんだよ。

同じぐらいの実力だと思っていたやつがいて、なんであいつが売れてこっちが売れないんだとか、その逆とかさ。「なんか絶対理由があるはず」と思っていると、どうしても目に見えない怪しいものに理由を求めて、すばっちゃうんだろうね。

(中略)

それは芸能人に限らない。人間というのは、何かと理由がほしい生き物だから。何かしようと思ったときに、何でも理由をつけたがるだろう。それこそ、今日は昼に何を食おうか、というときでも、「昨日は中華だったから和食にしよう」とか、「今日はもう行き当たりばったりで、最初に目に入ったものを食べよう」なんて、理由がないように見えて理由をつけている。

理由がないと、人間は動けないんだけど、一番肝心なことは絶対にわからない。それはこの世界に生まれてきた理由だよ。生まれて死ぬことに理由なんてないだろう。

「人は、結果論の肯定が不得手なばかりに、『行き当たりばったり』な思考と人生を素直に受容できず、何かと理由を欲求する」との北野武さんのお考えは、成る程であり考えさせられる。
私たちが、隙あらば(笑)「免罪符」に飛びつくなど、絶えず何かと自己正当化に躍起になっているのは、自分の思考と人生に自信が持てないからであり、これは、それらの「行き当たりばったりさ」を素直に受容できないからに違いない。
「これでいいのだ」と絶えず断言するバカボンのパパは、やはり天才に違いない。(苦笑)



間抜けの構造 (新潮新書)
ビートたけし
新潮社
2012-10-17




kimio_memo at 06:23│Comments(0) 書籍 

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【日本経済新聞社】「第61期王座戦第三局▲中村太地六段△羽生善治王座」渡辺明竜王【洋画】「アメイジング・グレイス/Amazing Grace」(2006)