【観戦記】「第71期名人戦七番勝負〔第2局の13▲森内俊之名人△羽生善治王位挑戦者〕切れた緊張の糸」上地隆蔵さん【経営/人生】「イノベーション・オブ・ライフ」クレイトン・M・クリステンセンさん

2013年05月28日

【野球】「阪神タイガース暗黒時代再び」野村克也さん

P106
ピッチャーは「打てるものなら打ってみろ」というプラス思考であることが多いが、捕手は「打たれるかもしれない。だからできるだけ打たれる確率が低い球種、コースを常に考えていこう」というマイナス思考を常に持つべきだ。プラスの投手とマイナスの捕手が信頼関係を築くからこそ「バッテリー」(電池)というのだ、と私は勝手に解釈している。配球とは、1球1球が応用問題である。だから、必ず1球には根拠をもって配球することが求められる。

たしかに、投手と捕手は「バッテリー」と言われるが、その根拠は、「やるのはオレだし、大丈夫!」の楽観論者と「本当にアイツで、このやり方で大丈夫だろうか?」の悲観論者の組み合わせの妙なのかもしれない。
ともあれ、プロフェッショナルの成果物は、楽観と悲観の絶妙の恵みであって然るべきだ。


P169
弱いチームに共通するのは、似たような選手が多く集まることだ。監督就任当時のヤクルトも、楽天もそうだった。現在でも横浜DeNAの投手などを見ると、先発としても抑えとしても「帯に短し、たすきに流し」で、誰が先発してもそこそこ同じ、というような構成になっている。これは明らかにスカウト能力が劣っていることの表われである。

私は「球が速い、遠くへ飛ばす、足が速い、は天性のものだから、天性に秀でた選手を探してきてほしい。細かな技術は、プロに入ってからいくらでも身につけさせられるから」と要求していたが、能力がないスカウトほど大きな失点をしたくないために、適度にまとまった選手を求めがちになる。まして阪神は、中心選手をFAなどでかき集めてしまった。「あとは枝葉の選手だ」となって、さらに似たようなタイプばかり探してくる。

これでは和田監督がいくら望んだしたとしても、適材適所のオーダー構成はできなくなる。野球において、9つの打順と9つの守備には、それぞれ意味がある。監督には「こういう野球がしたい」という方針があり、その方針に従って、9つの打順と9つの守備位置にふさわしい人材を当てはめていく。

しかし同じようなタイプの選手ばかりでは、監督にとって理想のオーダーを組むことはできない。これでは、山登りのエースがいない箱根駅伝の監督のようなもので、なるようになれ、と指をくわえてプレーを見つめるしかない。似たものばかり、のチーム編成は、こと厳に慎むべきである。

成る程、たしかに、山登りのエースが居ない大学マラソン部の監督は、目を瞑って箱根駅伝の出場選手を決めるしかない。
「適材適所」は、野村克也さんが巨人のV9に学んだ最たるの一つだが、これは、組織で勝利を目指す全ての事柄に当てはまるに違いない。

また、たしかに「適材適所」は、勝利へのあるべき方針、アプローチが先ず在ってこそ必要かつ、具現が求められる。
「どう勝ちたいのか?」を基盤としない「適材適所」は、単に組織の長の「好み」だ。


P171
私はヤクルトで1995年に宮本慎也が入団してきた時に、まず「守り専門の自衛隊でいい。打順は8番をくれてやる。しっかり勉強せい」と話した。その上で「お前が引っ張ってもカネにならん。右へ打て。打ち上げるな。ゴロを打て」と命じた。

(中略)

鉄は熱い内に打て、という。プロ1年目で、真新しいスポンジのような吸収力を持っている時期に、宮本と出会えたことがよかったのだろう。プロに来て、周囲のバッターの打力に圧倒される。自分が本当にちっぽけな存在だと感じるものだ。群を抜くような実力を備えた選手でないかぎり、誰もがそこで初めて、己を知る。そこで適切な方向性を示してやることで、人は向上していける。

(中略)

大和にしても、例えば俊足の上本(博紀)を走者に置いた場面で打席に立つ際には「初球から打っていいか」を確認してから打席に入るくらいの慎重さがほしい。こうした確認作業はコーチが徹底して教え込んでおくべきだ。「やってくれるだろう」ではなく、「必ず確認する」という習慣を植えつけておくべきである。

反復や確認によって、考える習慣を身につけることができる。今の若い選手は、アマチュア時代に、既に基本はしっかりとたたき込まれている。しかしその基本も、実戦で生かすことができなければ意味がない。そのためには基本だけではなく、基礎が必要である。

基本とは技術だが、基礎とは技術習得の土台となる体と意志の強さと考える力のことだと私は考えている。バットを振る、これは技術であって基本である。しかしケガをしない体、反復練習に耐える精神力、どの球をどうやってどこに打ち返すのかという思考法、これはプロとしての基礎である。

その基礎を作るための出発点は、己を知ることから始まる。つまり「自分はどういう選手か」「自分がどういう選手になれば1軍の試合で使ってもらえるのか」を考え抜くことである。

宮本であれば「自分が監督に使ってもらうには右打ち、ゴロ打ちをするしかない」というものだった。己を知ること、つまり自分に期待された役割を知ることが、プロとして食っていけるか、ということにつながる。

野村さんの仰る「基本」と「基礎」は、パソコンで言うところの、ExcelやWordといった「アプリケーションソフト」とWindowsやMac OSといった「オペレーションシステム」に通底しているに違いない。
本来、表計算の技術力を高めたければ最新のExcelをパソコンにインストールすればいい訳だが、Windowsのバージョンが低いと、インストールさえできないし、インストールできたとしても使い勝手が良くない。
最新技術が溢れかえる現代ほど、「基礎」の会得と維持の重要性が高まっている時代は無い。







kimio_memo at 06:58│Comments(0) 書籍 

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