【日本経済新聞社】「第61期王座戦第五局▲羽生善治王座△中村太地六段」藤井猛九段【野球】「落合博満の超野球学〈2〉」落合博満さん

2013年10月23日

【経営】「出光興産の自己革新」坪山雄樹さん、大久保いづみさん

P111
第2節と第3節では、出光がグループ全体で有利子負債2兆5000億円を抱える深刻な財務状態に陥った背景には、出光の文化的・組織的な要因があったことを論じた。大家族主義・独立自治という理念のもと、「信じて任せる」という文化を反映した強い縦型の組織体制になっており、それが各部門の個別最適追求の行動を許してしまい、個別に見た場合には組織的な検討が不十分な設備投資や、集計した場合には過大な設備投資額を生み出していたのである。

しかし、この各部門の個別最適追求とそれを許容する組織は、たしかに出光の文化に起因してはいたものの、前章で論じた(創業者の出光)佐三の理念と合致するものではない。前章で論じたように、独立自治とは全体の目標・方針のもとでの独立自治であり、各自が好き勝手に仕事を進めることではないからである。「相互信頼の観念をはき違えて、相互放任の弊に陥っている」という、佐三の存命中にも生じていた理念についての誤解がまさに発現し、財務的な危機を生んでいたのである。

前章で論じた佐三の理念とそれに基づく慣行は、佐三が自ら一から考えてつくっていったものである。一般的な企業の常識からは大きく外れているとはいえ、その背後には哲学者・思想家ともいえる佐三の深い人間理解と経験と論理があり、人間の能力を最大限発揮した能率的な企業運営を目標とする合理的なものであった。しかし、佐三が亡くなり、やがて佐三から直接薫陶を受けた世代も会社を去っていく中で、理念・慣行の背後の論理が誤解されることや、あるいは背後の論理が十分に語られぬまま「うちの会社はこうなんだ」「こうあるべきなんだ」と盲目的に現状の慣行に従うことなどがあったのではないかと考えられる。これは、理念・慣行の本来の合理性の部分が弱まっていたことを意味する。一般的な企業の常識とは異なる、佐三が一から考えてつくり出した独自の理念・慣行であるがゆえに生じる負のダイナミクスである。

P136
佐三は、社員への戒めにも芸術を多用した。たとえば、前出の「指月布袋画賛」を用いながら、彼は社員に対して次のように述べている。

「君たちは布袋さんの指を見ているじゃないか。指(=枝葉末節)を見ないでお月さん(=大局)を見よ。出光は石油業という商売、金もうけをしているんじゃない。国家社会のため、消費者のため、製油所のある地元のためにやっているんだ。根本を忘れるな」

このように、佐三は事あるごとに芸術作品やその背後にある芸術家の生き方を例にしながら、社員に対して出光の経営のあり方を説いていた

経営で一番大事なのは、徹底だ。
目標(ビジョン)や戦略は、詰まる所何でもいい。
とにかく、それらの内容とその背景(そうすべき理由)、そして、その基盤たるトップの経営哲学(経営理念/根本思想)と価値観を、側近の参謀からプロフィットセンターである現場の末端まで寸分違わず合理的かつ感情的に浸透させ、社内を、企業を、絶えず一枚岩の燃える金太郎飴軍団に化しておくこと。
この徹底こそ、トップの一番の任務だ。

徹底でとりわけ大事なのは、「現状に満足しない(現状をよしとしない/現状を絶えず懐疑する)こと」と「本質を譲らないこと」だ。
出水佐三さんが、事ある毎に芸術作品やその芸術家の生き方を例示し、社員に経営理念を説いておられたのは、そういうことだ。
トップから現状に対する耐え難い問題意識が絶えた時や、自社の存在理由を一社員に適宜説教する気概が絶えた時、或いは、トップの代わりに、トップの後を継いでその任を積極的に果たす人が絶えた時、社内は、企業は、烏合の衆と化すに違いない。



出光興産の自己革新 (一橋大学日本企業研究センター研究叢書 4)
橘川 武郎 (著), 島本 実 (著), 鈴木 健嗣 (著), 坪山 雄樹 (著), 平野 創 (著)
有斐閣
2012-12-22




kimio_memo at 07:03│Comments(0) 書籍 

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