2013年03月05日
【人生】「志村流」志村けんさん
P117
巷の常識が、以前のように不変じゃなくなっているから、オツムの回転にも柔軟性をもたせないと、世間から取り残されてしまう。
それって、つくづく怖いことだと思う反面、「オレのことはほっといてくれよ」という気持ちにもなる。
世代と世代の間に溝がでーんとある、ということも、常に頭に入れておかないといけなくなってしまった。
つまり、隣の席に座っているOLや男子社員が、自分と同じ感覚で行動し、仕事をしているかといえば、実はそうじゃないというところに、早く気づいたほうがいいってことだ。
たとえば、部下と同じ大福もちを食べているとする。
そんなとき、相手も自分と同じアンコ入りを食べていると思い込みがちだ。
でも、中身はクリームだったり、イチゴだったりする。
それでも「美味しいよね、この大福」という具合に、会話は噛みあってしまうから始末が悪い。
中身は別なものなのに。
実は、お互いの「普通」や「好み」が、すでに違っているかもしれないってことだ。
なぜ、年をとると、「大福もちはアンコ入り以外あり得ない」と思い込んでしまうのか。
主因は以下の三つではないか。
〔R1〕年をとると凡そ、他者への関心が薄れるから。
〔R2〕年をとると凡そ、「虫の目」が衰えるから。
〔R3〕年をとると凡そ、現状で事を足らせてしまうから。
「隣人は私よりも美味そうに大福もちを食べているが、もしかして、私のとは違う大福もちを食べているのではないか?」と他者に関心を寄せなければ、いかにアンコ入り以外の大福もちを食べている人が間近に居ようと、その正体を知り得ないのではないか。
そして、アンコ入り以外の大福もちがいかに多種多様存在しようと、それらを「所詮、大福もち」と鳥瞰、十把一絡げにし、隣人や広告の大福もちの中身に目が行かなければ、また、そもそも「大福もちはアンコ入りで十分!」と既存の大福もちで事を足らせてしまえば、存在していないのと同じではないか。
「無関心」と「『虫の目』の衰え」と「『足る』の知り過ぎ」は、思い込みの大敵ではないか。
P131
完璧なものを求めれば、それだけ準備に時間がかかるのはしょうがないことなんだよ。
完璧主義者は仕事が出来ない奴が多い、なんて話を聞いたことがあるけど、それは違うと思う。
完璧なものを求めて頑張ったって、百パーセントのものはできない。
せいぜい、いいところ八十点じゃないの。
最初から全力でいかない奴は、その時点で先がない。
全くもって同感だ。
100点という達成困難かつ最高の目標を自ら掲げ、目指すからこそ、過去の延長線上には無いイノベーティブな発想と行動が、ひいては、その八掛けの80点という好バランスな成果と非常識な人的成長が初めて生まれるのだ。
ゆえに、80点という現実的かつ中庸な目標を掲げ、目指せば、過去の延長線上の瑣末な工夫が、ひいては、その八掛けの64点という月並みな成果が生まれるのが関の山で、人的成長などあり得ない(か、あっても知れている)。
非完璧主義者の一生は基本、堕落だ。
とはいえ、本事項は、多くの人が生まれた時から感覚的に理解している。
にも関わらず、多くの人が80点を目指す。
なぜか。
経験から推量すれば、主因は誤解だ。
「100点を目指すこと」を「100点を絶対とること」と誤解し、100点をとれなかった時の無念や惨めさを予め断っているのだ。
これは、「『美人にフラれること』や『美人と付き合えるだけの資質や能力の無さを思い知ること』を怖れて、『好きでもない不美人に言い寄ること』」に似ている(笑)が、先述した様に明らかな誤解だ。
「100点を目指すこと」は「最高の自己変革、自己成長に挑むこと」だ。
P153
オレだって、中学時代にビートルズのファンになって、マネしようと一生懸命ギターの練習をやったけど、結局あんまりうまく弾けなかった。
だから、ミュージシャンはやってない。
そういうことなんだよ。
マネして出来なきゃ、それは才能がない証拠。
悲しいけど、自分自身にケジメをつけることも大切だ。
才能がないことはお金に結びつかないから、早いとこその道は諦める。
これが正解。
マネの効用の第一は、自分の適性をふるいにかけることが出来るということだ。
お笑いに関して言えば、高校一年生の時、初めて見た米国の大物喜劇俳優ジェリー・ルイスの映画にすごく影響を受けた。
彼の表情や細かい動きをまずマネして、自分がどれだけうまくやれるか、ずいぶんと研究したな。
けっこううまくマネ出来たものだから、自信を持っちゃって、結局、その方面の世界に足を踏み入れることになった。
上手にマネが出来るということは、自信につながるんだよね。
自信は強い意思を生み、強い意志に支えられて、いい仕事が出来る。
「マネの効用の第一は、自分の適性をふるいにかけることが出来ること」との志村さんのお考えは、成る程だ。
たしかに、対象行動を、それも、とりわけ優れた対象行動をマネしてみれば、自分が本当にそれに向いているか否か、会得の速さでよく分かる。
しかし、「好きこそものの上手なれ」との言葉に従えば、マネの効用の第一は、自分が本当に対象行動が好きか否か、マネの熱心さでよく分かること、即ち、「自分の本気度をふるいにかけることが出来ること」ではないか。
本気度の卓越した高さは、適性、それも、技術的適性の些少の低さを補って余りあるに違いない。
そして、前述した「多くの人が100点ではなく80点を目指す」理由と相まって、なぜ、現場の営業マン、販売員の多くが所謂「トップセールス」のマネに不熱心か、分かった気がする。
彼らは、トップセールスの才能の無さを、詰る所、営業マンや販売員としての適正の無さを思い知りたくないことに加え、そもそも営業マンや販売員という仕事が本当には好きではなく、不本意なのだろう。
現場の営業マンや販売員が競合優位の源泉である企業の経営者は、営業や販売という仕事が本当に好きな人のみ採用し、彼らが好きなことに絶えず夢中になれる環境、仕組みを作る必要がある。
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