2013年10月28日
【映画】「若松孝二・俺は手を汚す」若松孝二さん
P192
まァ他の監督ってのは、おおかたまともに学校続けてさ、大学に入っても映画ばっかり好きで見てて、そうやって映画の世界に入って来るわけでしょ。だからみんな他の仕事は一切できないわけだよね。つまり映画以外では役に立たないんだよね。俺は映画でなくても食っていけるってとこある。何かやってても映画にまた帰って来るってわけだ。
昔は、いくらか映画で何かできるんじゃないかという感じがあったけど、(19)68年から70年にかけて、もう映画じゃなにも起こらないんだということがわかった。実際何も起こらなかったしね。俺の映画を見て、意識の上で何かを生み出したってことはあるかもしれないけどね。映画の中でそういう人を描きたいっていうことだよ。そういう人たちは立派なんですよってことを、さらっと言いたいわけだ。俺、人間が好きなんだ。
人間を描くことができないやつが、なんで映画を撮れるかと思うね。”人”に興味を持ったほうがいいって気がする。映画ってのは人が出るわけだから、人に興味がないやつが映画撮ったって、面白いものなんか撮れないんじゃないか。そういう意味で、俺は”人”の起こした事件物にフトのるってことになったりするんじゃないかな。
私たちが働く理由の最たるは「食う為」だが、「他者に影響を与える為」とか「他者の人生に足跡を残す為」というのも相当に大きいと思う。
なぜなら、私たち人間は社会的な生き物だからだ。
私たちが少なからず出世欲や権力欲を持っているのも、本意は「他者を睥睨する為」とか「他者を意のままに操る為」というより、結果として「自分の社会における実力と存在意義を確認する為」だと思う。
だから、私は、若松孝ニ監督のこのお話に感心してしまった。
若松監督が後年、敢えて映画監督として働いたのは、「食う為」でなければ、「他者に影響を与える為」でも、「他者の人生に足跡を残す為」でもなく、ただ純粋に、「自分が立派だと思い、興味を惹かれた人とその人生を世に知らしめる為」であった。
かつて「他者を変える為」どころか「社会を変える為」に映画を撮るも絶望し、けれども、達観の上、かくも映画監督として働く理由を改めて見出すとは、しかもそれを利他に見出すとは、感心する他ない。
なぜ、若松監督は、一旦絶望するも、また、他にも「食う為」の術が無い訳ではないものの、心機一転、映画監督を職業として選び続けたのか。
私は、主因として以下の三つを妄想した。
一つ目は、若松監督本人も仰っている様に、「算盤や理屈を超えて、人が好きだから」だ。
若松監督からすると、関係者や自分の財布が破綻しない範囲で、心底惹かれた立派な人とその人生を、自分の得意メディアである映画で世に知らしめることができたら、それだけで本望だったのではないか。
二つ目は、「一旦、完全に絶望したから」だ。
若松監督からすると、かつて映画で社会を変えることの可能性を究極追求し、そして、完全に絶望したからこそ達観でき、かつ、「好きで、立派だと思える人とその人生を映画で世に知らしめられたら、それだけで本望」と、ただ純粋に、また、つゆも未練無く感じられたのではないか。
三つ目は、「『食う為』の術が他にも有ったから」だ。
若松監督からすると、「食う為」に映画を撮らないことが、惹かれた立派な人と世の中に対する礼儀であり、かつ、独立系映画監督としての矜持だったのではないか。
ともあれ、故若松監督に改めて合掌したい。
堀 公夫(教授&羽生ヲタ)@kimiohori若松孝二監督が他界なさった。監督の作品は人間の本質を、特に陰の本質をえぐり出しているが、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」での坂井真紀さん演じる主人公が総括の名の下自分の顔面を殴打し続けるシーンは、心身を切り裂かれる思いがした。合掌。 http://t.co/GAAF4k2B
2012/10/18 09:36:38
kimio_memo at 07:17│Comments(0)│
│書籍