2013年12月19日
【BSNHK】「100年インタビュー」山田太一さん
【山田太一さん】
要するに、(ドラマは)「フィクション」、「嘘」だから書けるっていうのがあるんですね。
「嘘」なら殺人でも書けますよね。
だから、その装置、本当のことを言う為には、「嘘の装置」じゃないと。
つまり、自分のことでも「隣のダンナはね・・・」とかって言うと、喋り易いじゃないですか。
そういう風に「嘘」が必要なんですね、真実を書くっていうことには。
だから、本当を書いちゃったら実も蓋もないんであって、やっぱり、「フィクション」っていうのは、「これは誰のモデルもいませんよ、誰のことでもありませんよ」っていう風な前提があって書くから、かなり立ち入った心、孤独の心でも、悪意でも、嫉妬でもみんな書けるんですよね。
それがもし、「全部本当のことを言ってるんだ」ってったら、体裁悪いからね、もっと良い人ばかり書いちゃう所がありますですね。
【渡邊あゆみアナ】
匿名にするとかね。
【山田さん】
ええ、そうそう。
【渡邊アナ】
そういう風に。
それだったら、もう「ドキュメンタリー」にした方がいいかもしれないけれど。
【山田さん】
そうそう。
「ドキュメンタリー」で内面なんか訊いても、まず答えてくれないでしょう。
【渡邊アナ】
正直に言わないですよね。
【山田さん】
ええ。
ですから、それを外へ出せる装置として「嘘の話」、「ドラマ」っていうのが、僕は非常に大事な装置だと思うんですよね。
山田太一さんのお考えは成る程であり、共感できる。
たしかに、家では妻とノーマルなセックスを嗜む夫が、風俗店では嬢と幼児プレイに励んだり、会社では物静かな人が、酒場では他人に絡んで仕方無いように(笑)、自己表出は専ら「嘘」の中で行なわれるからして、その装置足る「ドラマ」は大事であり、また、有意だ。
なぜ、自己表出は、専ら「嘘」の中で行なわれるのか。
なぜ、「現実」の中では行われ難いのか。
たしかに、近因は、山田さんが仰るように、「さもなくば、身も蓋も無く、体裁が悪いことこの上無いから」だが、真因は、「表出した挙句、自己が現実的に否定されたら、始末が悪いこと、身の置き場に困ることこの上無いから」だ。
人間の本質は、責任回避、現実逃避を旨とする内弁慶、否、嘘弁慶だ。
私たちの多くが他人事に強い一方、自分事に滅法弱いのも、その具体だ。
自己実現の可否は、完全嘘弁慶からの脱却にかかっている。
★2013年2月11日放送分
http://www.nhk.or.jp/hyakunen-i/backnumber/2012_03.html
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