【講座】「売れる作家の全技術」大沢在昌さん【BSNHK】「ジェームズ・キャメロン自らを語る/アクターズ・スタジオ・インタビュー」ジェームズ・キャメロンさん

2012年12月19日

【観戦記】「第71期名人戦A級順位戦〔第25局の7▲羽生善治王位△佐藤康光王将〕羽生強し、5連勝」甘竹潤ニさん

▲4四角(図)が詰めよ逃れの詰めよになって大勢は決したーーと今だから言えるが、△8ニ玉がしぶとい手で、控室でもまだまだ波乱ありと思っていたようだ。

ところがここから羽生があざやかに決める。

(中略)

終局は午前1時15分。
感想戦は2時間近くにも及んだ。

「寄せにいったのがひどかったですか」と佐藤。
だが盤側の棋士に仰天の寄せの順を指摘されると羽生と2人でホーッと目を丸くした。
ぎりぎりの場面で飛車を捨てにいった判断は間違っていなかった。
「勝っているような気がした」というカンもぶれてはいなかった。
ただ羽生の執念の前に一歩及ばなかった。

それにしても羽生の勝負強さはどうだ。
そしていつも思うことだが、羽生は感想戦が実に楽しそうだ。
大熱戦の末に命拾いをし、感想戦もどっぷりと戦わせた午前2時45分頃。
盤側が示した、自分の読みになかった好手を指摘されると「いろんな手があるものですね」と目を輝かせてまた検討を始めるのだ。

感想戦とは、勝負の結果を棚に置き、自己の過誤と可能性を合理的かつ徹底的に検証、発見するプロセスだ。
私は常々、企業に感想戦の励行を説いているが、多くが励行しているのは、依然もっぱら結果罵倒戦だ。

その主因の一つは、「人間は自分の過誤を認めたくない生き物だから」だ。
これは「過誤の責任を逃れたいから」でもあるが、根源的には「自分の矜持を守りたいから」だ。
たしかに、自分の過誤を認めることは、自分の無能さや至らなさを認めることでもあり、耐え難い。

しかし、羽生善治三冠の感想戦に臨む姿勢を改めて知るに、本事項は低レベルな話だと言わざるを得ない。
自分の過誤を認めることを、自分の無能さや至らなさを思い知る苦難事ではなく、自分のポテンシャルや遣り甲斐を(再)発見する快楽事である、と肯定的に解釈するのが、あるべき感想戦の心得に違いない。

周知の通り、羽生善治さんは、現役生活25年を、また、40才を過ぎてもなお、他の棋士の追随を許さない。
三日に一日は地方でのタイトル戦を含む対局で、研究に集中できる時間は他の棋士より遥かに劣るにも関わらず、だ。
あるべき感想戦の励行こそ、持続的な成長とモラールを実現する一番の特効薬かもしれない。



★2012年12月19日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/feature/shougi/



kimio_memo at 12:00│Comments(0)TrackBack(0) 新聞将棋欄 

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