【司法】「私は負けない/第三章『一人の無辜を罰するなかれ』」周防正行さん【邦画】「男はつらいよ 第23作 翔んでる寅次郎」(1979)

2014年06月12日

【人生】「午後の遺言状/乙羽さんのことなど」新藤兼人さん

P4
ーー(「午後の遺言状」は)どういう順番で撮影していったのですか。

午後の遺言状 [DVD]
出演:杉村春子、朝霧鏡子、観世栄夫、乙羽信子
監督:新藤兼人
パイオニアLDC
2001-10-10


頭からほとんど順序に撮っていきましたね。しかし、乙羽(信子)さんと杉村(春子)さんの共演になっているところは早く済ましたいと思ったんですよ。それは乙羽さんの手術を終ったときに主治医に言われたんです。もう一年か一年半だというふうに。

(中略)

乙羽さんは知らないんですよ、河野さんという主治医も話してないし、ぼくらも言ってない。まあ、「病は気から」ということもありますから、仕事をすれば一年が一年半になったり、一年半が二年になったりするかもわからない。主治医もそういう例もたくさんあるというんです。

しかし冒険だったですよね。乙羽さんと杉村さんが主役ですから、初めっからしまいまで出ずっぱりでしょう。途中でたおれたりすると、それでおしまいですね。この病の場合またよくなるということはあまり期待できませんからね。制作費も二億円超えますから、冒険だとは思ったんですけれど、しかしぼくはどうしてもやりたかったわけね。乙羽さんが近代映画協会で40年もいろいろ仕事やってくれたことに対するお返しとしてもやりたいと思ったし、もし途中で倒れてしまっても、仕事をやって倒れたほうが気もちがいいんじゃないかなと思ったんです。


P16
ぼくは手術の前に、NHKで『正岡子規の病床六尺』という子規のお母さんを乙羽さんでやるようにホン書いたんです。そうしたら乙羽さんが手術をすることになったから、乙羽さんの出演はやめになったんです。そのときも手術を一ヶ月延ばして、それをやってからにしたらどうかと医者に提案したんです。怒られましたね。「何を言っているんですか」と言われて。

だけど仕事をやらなきゃ役者というのは何でもない石ころみたいなもんなんですよ。仕事をやらない役者なんて存在しないも同じなんだから、役者をやってこその人生ですよね。やるべきだという考え方がぼくにはあるんですよ。

ーー仕事をしない役者はだめだというのは、この映画のテーマでもあるわけですね。

そうですね仕事をしなくて生きとったってしょうがないじゃないですか、と思うんです。

ーーそのあたりが老人映画としてはめずらしい。

老人になったからといって植物になるわけではないでしょう。ぼくは人間が植物扱いされるということに対する反感があるんですよ。年をとれば、気力が衰えてきたり、知能が衰えてきたり、体力が衰えてきたりするけれど、神の摂理で、人間には衰えたら衰えたなりにあるバランスが出てくるのではないかと思うんです。つまり才能というか、人間の出し得るチカラというか。だから、老人でも仕事ができると思っているんですよ。かえっていいバランスが起きてくるのではないか。そうすると、80や85になったって、仕事をすれば、それはそれとしてのおもしろい才能が発揮されるのではないかと思う。仕事師としてですね。

ぼくは映画監督という特殊な仕事だけれども、ほかの商売でもサラリーマンでもそこは同じだと思います。生きるということのなかでは、自分が最後をきわめるということでないと、意味がないのではないかと思っているんです。そういうものがテーマですね。それを老人のテーマにしようと思った。それは生きてきた値打ちを大事にするというようなことなのかな。突然80になって老人になったのではなくて、60、70、80というふうな、生きてきた延長でしょう。延長なら、その延長のなかでたくわえてきて消耗したものもあるけれど、逆に生きてきて蓄積されたものが出るかもわからない。消耗したからうまく残ったというものがあるでしょう。

それは強弁といわれるかもわからないけれど、そうしないと、人間というのは生きとっても意味がないということになりますからね。年とったら植物的に扱ってもらういうことになりますと、人間の末路として非常に悲しいよね。そうじゃないというようなことをいいたいわけです。

たとえば杉村さんも立ったり座ったりということが若いときみたいにいかないふうになっていますよ。パッと立ったりパッと座ったりはできない。そうすると今度はゆっくり立つ、ゆっくり座るというのを、老人になったから衰えてそういうふうにということではなくて、彼女がまたそれを演技のなかに取り入れているわけ。そういう演技にしている。そうすると、それは老人になれたから出てきた演技ということもいえるんです。つまりゆっくり座る演技ですね。人間が座るということを表現したいわけですから、ゆっくりしながら座るという意味を表現する。若いときにパッと座るのもそれは座るという意味だけれども、どっちにしても座るということを表現したいのだから、杉村さんがゆっくり座った、ああ、うまくやってるな、そういうわけかと思って、ぼくは見ている。つまり老人になったから若いようには座れなくなりましたという演技じゃないわけよ。現実に負けているから、それじゃ役者じゃない。老人になったから、より美しく座ることのある発見があったということにならないとね。そうしないと、人間の才能というのは若けりゃいいのではないかということになってしまいます。若いときにはそれ自体考えないで動いていたら、若さというのが出るのかもしれない。老人になったら、自分のこれまでやってきたことをみな失ってしまって、さらに失いきれないで残っているものというのは値打ちがあるものだし、大事にしなければいけないのではないか。

そういうふうに無理にでも思わないと、老人になったら、みんな死ななきゃならないかということになるからね。ぼくも老人監督になってしまったから、結局ぼくの思いもこの映画には入っているわけですよ。


P21
つまり肉体的には老人になりますけど、気持ちがほんとの老人になりたくないというような感じはあるんですね。だけど、老人になるわけだから、記憶力が減退したり、固有名詞が出てこなかったり、朝早く目がさめたり、そういうことはいっぱいありますから、しょうがないんですけれど。そういう現実が自分に迫ってくるのだけれど、逆に精神がほこりまみれになるというかな、それをそうありたくないと思ったりするんですよね。

北斎が若いときに飛びはねていたところへ返りたいと思ったりするのは、生きたいという欲望というのは常に、精神は肉体に逆行して生きているということなんですかね。逆行したいと思う執念ということなんじゃないか。それは生きることだということになるのかな・・・。とにかく自分なりに生きなきゃいけないんじゃないですか

年初、元上司からもらった年賀に、「我々老人には『きょういく』と『きょうよう』が大事だ」と書かれていた。
首を傾げながら読み進めて行くと、「きょういく」と「きょうよう」のもう一つの意味が解説されていた。
私は、破顔するも、寂しさと遺憾を覚えた。
なぜなら、今の自分があるのは彼のお陰だからだ。
他者から人生の師と称えられる人間でも、仕事と儲けの分け前に甘んじているサラリーマン、即ち、「期限付き受動的仕事人」に留まれば、ある時を境にそれらを一方的に断たれ、その後「きょういく」や「きょうよう」に一喜一憂する一老人に成らざるを得ない。
この現実は、弟子の私には余りに冷酷だが、同志であるばかりか夫人でもあった乙羽信子さんを、「役者は仕事(演技)をしてこそ役者であり、さもなくば、そこいらに在る何でもない石ころと同じ」、「仕事をせずに生きていても仕方が無い」と、医師から余命宣告されてもなお役者として使い続けた新藤兼人監督から言わせれば、彼は「何でもない石ころ」や「生きていても仕方が無く」、自然かつ当然なのだろう。

過日、ラジオをつけると、どなたかが「現在施行されている老人福祉は、次世代への経済的虐待だ」と唱えていた。
たしかに、現在の老人福祉は、「生きていても仕方がない」老人の余生への未練につけこんだ政治家の保身の策であり、かつ、次世代の人たちのリソースをリターンの見込み無く収奪することを旨としているからして、「次世代への経済的虐待」とは言い得て妙だ。
しかし、もし、対象の老人の過半が、新藤監督のような強靭な哲学と自助のもと、「無期限の能動的仕事人」として終生現役を志向し、かつ、後世への啓発や触発を絶やさなくなれば、現在の老人福祉は「次世代への社会的授業料」と解釈できよう。

老人であれ若者であれ、「生きている」ということは、社会に「生かされている」ということだ。
本書の裏表紙には「人は生きているかぎり、生きぬきたい」と書かれていた。
私たちは、生かされている以上、生きているかぎりは、独自の意志と生き甲斐を持ち、かつ、社会に好影響を与えて生き抜かなければいけない。
私たちは、生きているかぎり、石ころに成ってはいけない。



午後の遺言状 (同時代ライブラリー)
新藤 兼人
岩波書店
1995-03-15




kimio_memo at 07:57│Comments(0) 書籍 

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