【邦画】「ブタがいた教室」(2008)【観戦記】「第71期名人戦A級順位戦〔第25局の7▲羽生善治王位△佐藤康光王将〕羽生強し、5連勝」甘竹潤ニさん

2012年12月11日

【講座】「売れる作家の全技術」大沢在昌さん

P221
●方針が変わった場合、最初から書き直すべきか?

Q:バグ
短編であれば一気に書き上げることができるのですが、長編だと途中で資料を調べたり、邪魔が入ったり、日常の出来事が入ってきたりして、当初考えていたストーリーやキャラクターがどんどん変わっていってしまうことがあります。あとから読み直すと、そこだけ浮いていたりするので書き直してみるのですが、さらに違うものになってしまって収集がつかなくなります。そういう場合、最初からすべて書き直すべきでしょうか?

A:大沢
難しい問題ですね。先に答えを言ってしまえば、その作品はやはり書き直すべきでしょうね。小説家というのは自分でテンションを維持しなければならない仕事です。私は今、住まいとは別に仕事場をもっていて、ほとんどそこで暮らしているようなものですが、結婚した当初は家から仕事場に通っていました。そのとき、奥さんに言ったことがあります。「これから仕事に出かけるというときに、俺を怒らせたり、喜ばせたりしないでくれ」と。つまり、同じテンションを維持させてほしいということなんですね。人間は感情の生き物ですから、すごく嫌なことやすごく嬉しいことがあるとどうしてもテンションが変わってしまって、目の前の架空の世界になかなか入っていけなくなる。極端な話をすれば、小説を書いている最中に電話がリーンとなって、「野生時代の○○でーす」という声を聞いただけでテンションががた落ち、ということもあるわけです(笑)。

小説を書いているときというのは、息を詰めて海の底深く潜っていくようなものなので、電話一本でいきなり急上昇して海面から顔を出させられたようになってしまうと、「また潜らなきゃいけないのかよ」とすごく億劫になってしまう。常に一定のテンションを維持するのは大変なことです。特に長編小説の場合、最短でも二週間、長ければ数ヶ月以上もかかるわけですから、その間、同じテンションを保つというのは非常に難しい。

作家の中には「執筆儀式」を持っている人がたくさんいて、音楽好きの人ならば、この小説のテーマはこの曲と決めて、必ずその曲を聴いてから執筆に取りかかるとか、ペンをきれいに洗ってインクを補填するところから始めるとか、エンピツを全部きれいに削って並べるとか何かしら方法論を見つけて自分のテンションや空気感みたいなものを一定に保つ努力をしているわけです。私が唯一決めているのは、原稿を書くとき以外は、一切書斎には入らないということ。仕事場にはリビングと寝室、それから机や資料類が置いてある書斎があるんですが、その書斎の机の前に座るときは、もう「書くとき」なんです。その部屋で文学賞の候補作を読んだり、パソコンで調べ物をしたりすることは絶対にありません。机に向かえば目の前にあるのは原稿用紙と筆記用具だけ。あとは「自動的に書く」という態勢になるように日ごとから環境を整えておく。そして、前回書いた分を読み返しながらどんどんその世界に入っていくわけです。週刊誌の連載小説なら一回分が四百字詰め原稿用紙15枚ぐらいで、それを大体一日で書き上げるんですが、特に前回分の15枚を一気に読み、今日書く分の頭の3枚を書くまでの間は、絶対に邪魔が入ってほしくない。そこに宅配便が来たり、電話がかかってきたりすると、せっかく組み立て始めたものがガラガラッと崩れてしまう。これが一番困ります。そういうときの電話の私の声はすごく怖いらしく、編集者もビビッてますが(笑)。でも、そこは本当に邪魔されたくないし、絶対に机の前を離れたくないという思いがあるので、お中元やお歳暮のシーズンで宅配便が頻繁に来るような時期は、あえて応対しないこともあります。

長編小説に向かうためのテンションを一定に保つ方法や演出を見つけることが、バグさんにも必要かもしれませんね。そして、書いたものがどうしても面白く思えないときは、そのまま書き続けるのも苦しいし、なかなかいいものにはできないと思うので、その作品からは一旦離れてみること。その間は別の作品を書けばいい。別の作品を書き上げたあとでもう一度最初の作品を読み返してみて、それでもダメだと思ったら、それは捨ててしまいましょう。でも、「待てよ。違うアプローチをすれば面白くなるかもしれない」と思えるなら、また書けばいい。それぐらいの余裕は持っていたほうがいいと思います。

私は作家ではないが、「自分でテンションを維持しなければいけない」、「テンションを一定に保つ方法論を自分で見つける必要がある」とのベストセラー作家、大沢在昌さんのお考えに強い共感を覚えた。

大沢さんは、本書の中で、作家の条件は「執筆依頼が絶えないこと(←相応の販売部数が見込めること)」であり、然るに、「作家はデビューしてからが本当の勝負である」、「作家は常に最新作を最高傑作にしなければいけない」と繰り返し説かれているが、これは、所謂サラリーマンではないプロフェショナルにはみな当てはまろう。
プロフェショナルとは、代替不能な唯一無二の価値の「現役」創造者であり、顧客及び他者に「過去」創造者と判断されれば、もはやプロフェッショナルではない。
「現役」であり続けるには「自分でテンションを維持しなければいけない」し、それには「テンションを一定に保つ方法論を自分で見つける必要がある」。
なぜなら、唯一無二の価値の創造源は、独自の志向(構想)を達成すべく「テンションが一定に保たれた」自我以外あり得ないからだ。

イチローが、毎朝カレーを食べ、バッターボックスに入ると肩のユニフォームを引っ張り、試合後ロッカールームでグローブを入念に磨く(→試合と自分のプレイを反芻、総括する)のは、彼独自のテンション維持法に違いない。
私が大沢さんのこのお考えに強い共感を覚えたのは、私自身プロフェッショナルを志向し、本件を絶えず問題認識しているものの、依然果たせず、しょっちゅう痛い目に遭っているからに違いない。
私の急務は、イチローよろしく、強烈な自戒と懸命な試行錯誤だ。








kimio_memo at 07:43│Comments(0) 書籍 

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