【人生】「私がアイドルだった頃」高橋みなみさん、板野友美さん、新田恵理さん、もちづきる美さん、長谷川晶一さん【邦画】「ニッポン無責任時代」(1962)

2012年11月01日

【事件】「毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記」北原みのりさん

P180
父が妻のために建てたバリアフリーの家に行った。
今は誰も住んでおらず、「売家」の看板が建てられていた。
看板に記されていた番号に電話をした。
不動産屋にこの家がいくらなのか、可能ならば見たい、と伝えるつもりだった。

電話には女性が出た。
家のことを尋ねると、

「交渉などは、別の事務所に任せていますので、詳しいことは今申し上げる番号にお願いします。
ありがとうございます~」

と、感じのいい声で応対してくれた。
どこかで聞いたことがある声だと思った。
電話を切って、気がついた。
(木嶋)佳苗の母だ。

テレビでインターフォン越しに話す母の声を知っていた。
まさか、と思い、一瞬立ちすくんだ。
(木嶋佳苗被告の故郷である)この町(※別海町)に不動産屋がないわけじゃない。
それなのにこの女性は、敢えて不動産屋には頼らず、全て自分で差配しようとしているのだ。
マスコミからは毎日のように電話がかかってきているはずだ。
それでも電話に出て、突然玄関のチャイムを押すマスコミにも、嫌な声を出さずに丁寧に「何もお伝えできません」と断り続けているのだ。
強い。
本当に強い。

人の目を気にしていたら、生きていけない。
だけど人の目を気にしない女には、人は冷たい。
そのことを分かっていてもなお、生き方を変えられない母と、佳苗の顔が重なった。

人の目を気にしない女には、人は冷たい」のは、成る程だ。
電車の中で化粧をする女性が周囲に白眼視されるのは、そういうことなのだろう。

ただ、人が白眼視するのは、人の目を気にしない男性にも言えるのではないか。
だから、夜の東海道線の普通席で堂々酒盛りをしているオヤジたち(笑)も、同じく周囲に白眼視されるのではないか。
だとしたら、なぜ、私たちは、男女の別なく、人の目を気にしない人、即ち、我が道を行く人、自己利益を譲らない人、周囲の空気を読まない人、大多数に無条件に与しない人、を白眼視するのか。

主因の一つは「自己肯定が危うくなるから」で、もう一つは「彼らと一線を引きたいから」ではないか。
自分とは異なる、彼らの非大多数的な思考、行動習性を、そして、彼らの存在を是認してしまうと、既に確立した自分の大多数的な習性が、ひいては、自分の存在が浮かばれなくなりかねず、また、実際自分の身も、彼らの非大多数的な行動に脅かされかねない。
そこで、彼らを白眼視し、彼らの習性と存在の不是認を自他双方に態度表明する、ということではないか。

とはいえ、だとしたら、私たちは、自己中心思考や身勝手さにおいて彼らと大差無い。
私たちが彼らを白眼視する真因は、彼らが人の目から自分を解放し得たことへの嫉妬ではないか。



毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記
北原 みのり
朝日新聞出版
2012-10-01




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