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2012年10月31日

【人生】「私がアイドルだった頃」高橋みなみさん、板野友美さん、新田恵理さん、もちづきる美さん、長谷川晶一さん

P15
2010(平成22)年10月ーー。

目の前では「国民的アイドルグループ」の主要メンバー2人が、にこやかな笑顔をたたえたままでインタビューに答えている。

AKB48ーー。

05年秋にお披露目されたこのユニットは、「会いに行けるアイドル」をコンセプトに掲げ、秋元康のプロデュースによって一大ムーブメントを巻き起こしていた。僕の目の前にいたのは、初期メンバーである高橋みなみと板野友美だった。

(中略)

インタビューを続けながら、僕は感心していた。ひとつ質問を投げかけると、その後は2人でどんどん話題を転がして、話を膨らませていってくれる。

何度も何度も似たような質問をされて、内心では辟易しているのかもしれない。休日もなく、睡眠時間も満足にとれず、心身ともに疲労困憊なのかもしれない。

けれども、そんな表情は微塵も見せずに、つねに笑顔を忘れることなく、2人はインタビュアーが欲する言葉を次々と吐き出してくれていた。

「やっぱり旬のアイドルならではの輝きと勢いがあるな・・・」

インタビューの最中、僕はそんなことを感じていたーー。

インタビューに与えられた時間は短かったけれど、誌面に掲載する文字量もそんなには多くなかった。高橋、板野、それぞれの言葉には無駄がなく、すべてが「使えるフレーズ」ばかりだった。誌面にするには十分な材料がすぐに集まった。

P227
アイドル時代の狂騒の日々を振り返ってもらった新田(恵理)に改めて、「アイドルとは何か?」と質問を投げかける。少しの間考えこんで、彼女は口を開いた。

「・・・アイドルとは、《時代の産物》じゃないかな?時代のニーズにあった人がトップをとっていくものだと思うから・・・」

たしかに、「旬」のアイドルには独自の輝きや勢いがあるが、これはアイドルに限らない。
「旬」の人、組織、モノは、悉く既存の価値や権威に異議を申し立てた勝者であり、独自の輝きや勢いに満ち溢れている。
「旬」の人、組織、モノが「旬」足り得るのは、対象者の現在ニーズが手に取れるばかりか、その果ての期待共々肯定的に、そして、強靭に裏切れるからだ。

しかし、だからこそ、「旬」の人、組織、モノははかなく、持続的でない。
「気まぐれな」対象者、否、人を持続的に惹き付けるには、既出の自分の価値や権威にも異議を申し立てる不断の試みが、ひいては、それに相応しい実力と気概の会得が、欠かせないのではないか。


P333
最期に、もちづき(る美)にどうしても伝えたいことがあった。

ーーどんなにつらい体験をしていても、どんなに過酷な境遇を話していても、最初から最期まで、もちづきさんには悲壮感も、翳のようなものも、何もありませんでした。とっても波乱万丈なのに、本人はその自覚がまるでないようですが、いったい・・・。

そこまで言うと、笑顔のもちづきが会話を引き取った。

「はい。だって、どうしようもないことだから。でも、さらに深く話したら、もっともっと波乱万丈だと思いますよ(笑)。下手な暴露本よりたぶん、私のほうが壮絶じゃないのかな?でも私、いつも思うんです”何でみんなそんなことに食いつくんだろう?”って。だって何も楽しくないでしょ。”不幸自慢して何になるの?”って私、いつも思うんです」

そこには、喜びも悲しみも、感動も痛みも経験してきた女性ならではの笑顔があった。

幸せも、不幸も、決めるのは自分の心ーー。

これこそ、彼女の考える「幸福論」なのだろう。もちづきはなおも笑っているーー。

もちづきる美さんの幸福論から、二つのことを気づかされた。
一つは、不幸な体験に「食いつく」のは、他者の前に、先ず自分である、ということ。
そして、もう一つは、不幸な体験に自分が食いついた後、自慢する、他者に食いつかせる、のは、それ以外楽しいと思えることが見当たらないから、ということだ。

要するに、「悲劇のヒロイン」の自認は自己責任なのだ。
「不幸自慢」は、歪んだ、そして、不毛な自己責任の表象だ。


P369
13名の「元アイドル」たちに、僕は尋ね続けた。
ーー生まれ変わってもアイドルになりたいですか、と。

そのニュアンスは人それぞれではあったけれど全員が「もう一度やってみたい」と答えた。そして、こんな質問もした。
ーー娘が生まれたらアイドルにしたいですか、と。

すると、これも答えはみな一致していた。
「いえ、絶対にやらせません」

自分では「生まれ変わってももう一度アイドルになりたい」という想いを抱きつつ、その一方では「娘には絶対にやらせない」と語る。当人たちは、そこに矛盾を感じてはいなかった。

なぜなら、アイドルとは劇薬であり、一度服用してしまうと抜け出せない桃源郷、いや無間地獄に陥ってしまうことを本人たちは自覚しているからだ。そして、その副作用も大きいのだということを、身をもって経験しているからだ一度浴びてしまったスポットライトは、筆舌に尽くしがたいほどの悦楽をもたらす反面、多くのものを失わせもした。

みずからが「偶像中毒(アイドルジャンキー」であることを自覚している彼女たちは、いくら甘美で魅惑的な世界であっても、わざわざ愛する子どもをその世界に入れたいとは想わない。

アイドルとはかくも魅惑的で、危険な世界なのだ。

それが、彼女たちの言葉を聞いていて、僕がいつも感じていたことだった。

元アイドルが悉く「偶像中毒(アイドルジャンキー)」であり、かつ、その自覚を肯定的に有するのは、尤もだ。
なぜなら、著者の長谷川晶一さんも指摘されているように、彼女たちは、アイドルになった者だけが授かれる比類無い、正に禁断の悦楽を経験しているに違いないからだ。
アイドルとは異なるものの、かつて松任谷由実さんが全盛期の大型ライブの最中、万単位の観衆を眼前に収め、自分があたかも神になった気がした旨何かで仰っていたが、これらは通底していよう。

ただ、彼女たちがその自覚を肯定的に有するのは、実の所、否定的に有することに危惧があるからではないか。
彼女たちは、その自覚を否定的に有したが最後、自分自身と自分の人生を「捨てたモノではない」と思えなくなると、深層心理で危惧しているのではないか。

この推量が正しい場合、彼女たちのこの危惧はわからなくもない。
「馬鹿は死んでも治らない」という言葉があるが、人間は本当に強情だ。
良くも悪くも、また、年をとればとるほど、自分の習性を否定せず、変えない。
これは、詰る所、自我と人生の崩壊を回避するためだ。

しかし、彼女たちの危惧は思い過ごしだ。
そもそも私たちはみな、何らかを麻薬にし、望むと望まざると終生中毒患者で居続ける。
そして、数多の他者からどう見られようと、どう思われようと、自分だけは、自分自身と自分の人生を「捨てたモノではない」と思いたがるものだからだ。
彼女たちにとっては「アイドル」が麻薬だったが、現在宇宙開発に夢中なイーロン・マスクCEOにとっては「ベンチャー(起業)」が麻薬に違いない。
独自の禁断の麻薬にありつけた人生は、自分自身共々最高だ。



私がアイドルだった頃
長谷川晶一
草思社
2012-08-24




kimio_memo at 07:22│Comments(0) 書籍 

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