2012年10月12日
【マラソン】「高橋尚子 金メダルへの絆」小出義雄さん
P95
失敗してわかった練習方法
世界選手権に出すことは半分諦めていたが、(97年)5月の大阪国際グランプリも選考レースの一つだったから、最後のチャンスに、その5000メートルに出してみることにした。
私は結婚式があって大阪には行けなかったが、深山文夫コーチに指示をして、レース当日の朝に5000メートルを全力で走らせてみた。その結果、レースでは15分23秒64で5位になった。日本選手では4番目だったが、4位に入った千葉真子選手が1万メートルの代表になったため、3番手の選手として代表に滑り込んだ。
大阪国際マラソンの失敗のあと、高橋(尚子)に関して私は諦める一歩手前までいっていた。だが、そこから、彼女についてのコンディショニングの方法を大会のたびに試みてみた。大阪国際グランプリ当日の朝にやってみたのも、そんなテストの一つだった。
私の場合、高校生を20数年間指導していたが、入学してきた生徒をほんとうにわかるまでには1年半くらいかかっていた。その子が練習の成果を出せるコンディショニングや調整方法がわかるまでにはそれくらいの時間がかかる。2年生の秋ごろから、この子はこういう方法でやれば走れるかなと。だから1年生のころにはなかなか強くならないものだ。
高橋の場合も私が見始めて1年半くらいまでは、こうすれば疲労は回復するとか、高地練習をすればこうなってくるというのがわからなかった。それがわかるようになったのは、大阪で失敗してからだった。その後もいろいろ試してみるうちに、それまでやっていた有森(裕子)や鈴木(博美)のコンディショニングとはまったく違うということがわかってきたのだ。
そのようなことを選手に試してみることは、ほんとうに勇気がいる。自分の調整方法が一番正しいと思って、高橋はもう駄目だと判断すれば、そこで終わっていただろう。
怪我をしたことを割り引いても、最初のうちは走ってくれなかった。それも、いま考えれば練習の仕方が悪かったためで、私の責任だ。いまでも時々、「これをやらせたら疲れちゃうだろうな」と思うこともあるが、そこを割り切って「高橋はこうでなくてはならない」と、自分に言い聞かせながら練習メニューを組んでいる。
普通の選手なら、試合の何日か前までハードなトレーニングをやらせて、それから疲労を取って試合にぶつけるようにする。
それが高橋の場合は、普通のやり方では駄目なのだ。
鈴木と有森でもそれぞれ違いはあるが、高橋のやり方を試してみたら、鈴木はとてもじゃないだろうし、有森でも真似できないだろう。普通の選手にそんなことをしたら全部潰れてしまうほどだ。
P127
どんな練習にも音をあげない高橋のスタミナ
(98年3月の)名古屋(国際女子マラソン)でゴールした直後 に高橋は、「監督、まだ走れますよ」と平気な顔をして私に話しかけてきた。「なんだよおまえ、アベベ・ビギラのようなことを言うじゃないか」と返したが、 高橋にそれほどスタミナがあるとは、私の予想以上で驚くしかなかった。
それからは、それまでにこなしていた練習に、輪をかけるようにもっ と違うやり方を試してみると、さらにいいタイムで走ってしまう。練習というのはさまざまな方法があるものだと改めて思い直し、試しに高橋本人がびっくりするほど走らせてみると、それでもやってしまう。そうしてさらに強くなってしまうのだ。
佐倉でのことだ。30キロのタイムトライアルをやら せてみた。すると、アップダウンのあるコースにもかかわらず、すごいペースで走っている。「おいおい、これじゃ世界記録で走ってしまうよ」とコーチと顔を 見合わせた。走っている高橋に「キューちゃん、ほんとうにおまえ大丈夫か」と聞くと、本人は「はい、大丈夫です」と、走りながらニコニコして答えてくる。
しかし、あまりに速いから、「もう今日はいいや、ここでやめよう」と、途中でやめさせた。すると「まだ走れますよ」と、これまたケロッとして言うのだ。
それから練習方法をどんどん変えてみた。メキメキと強くなってきたので、練習もますますできるようになった。練習というのは、監督が自分のイメージだけに固執してしまっては駄目なものだと思う。
小出義雄監督が、過去の輝かしいキャリアと実績をもってしても、高橋尚子選手にとっての最適なトレーニングメニューを案出するのに一年半もの時間を要されたこと、そして、高橋選手を諦める一歩手前まで行かれたこと、に考えさせられた。
そして、以下の二事項を感じた。
一つは、過去のキャリアや実績は必ずしも現在や未来に有効でない、ということだ。
これまで小出監督は、鈴木博美選手や有森裕子選手を筆頭に、女子マラソンのトップレベルの選手を多々輩出なさったが、そんな比類無いキャリアや実績も、高橋選手の育成にすぐさま応用できるものではなかった。
過去に培った優れた方法論、成功イメージの内、現在や未来の問題にそのまま即継続利用できるものは本当に限られる。
もう一つは、成功の継続には本分と責任の不断の自覚が欠かせない、ということだ。
小出監督が高橋選手の育成を試行錯誤できたのは、詰る所、高橋選手を諦め切れなかったこと、深く愛していたことに加え、自分の本分と責任を「選手毎に最適な指導を施し、彼女たちのあらゆる成果に責任を負うこと」と絶えず自覚なさっていたからに違いない。
指導者は、キャリアや実績を重ねるほど、過去に培った方法論や成功イメージに執着し、諦めがよくなる。
即ち、試行錯誤を恐れる、億劫がる、端折る、そして、収められたはずの成功を逃す嫌いがあるが、それは、自分の本分と責任を誤解している、見失っているからだ。
P133
両親の前から泣きながら逃げ出した高橋
アジア大会に向けての練習は順調だった。あまりにも速いペースで走るので、「落とせ、落とせ、落とせ」と必死に抑えなければならないくらいだった。
しかし別の、ある不安があった。珍しく高橋が浮かれてきたような感じがしたのだ。このままではまずいは、そう思った私は、どこかでカミナリを落とすチャンスをうかがっていた。
アジア大会のレースの丁度1週間前に全日本実業団女子駅伝があった。例年なら12月の第2週に行なわれるのだが、アジア大会と重なってしまうため11月29日に早められていたのだ。高橋は最長区間の11.5キロを走る予定だったが、アジア大会に出られることが嬉しくてしかたないようすで、そのうえ練習も思うとおりにできたので自信満々だったのだと思う。そんな慢心がちょっとした言動に出ていたのだ。
そんな気持ちをどこかで一度締めておかなくてはならない。アジア大会までは日があるので、まだ間に合うと考えた。
駅伝の3日前にちょうどご両親が駅伝の激励にホテルまでみえていた。その機会をとらえて、高橋のささいな言葉に反応し、「ナニ!」と、こっぴどく怒ってみせたのだ。
「お前みたいな選手はそこらにいっぱいいるんだ。いまだって数人いるんだ。ふざけんじゃねぇよ、この野郎」
お父さんとお母さんがいる前でわざとやった。それが一番きくと思ったからだ。
高橋はいても立ってもいられなくて、「ウワーッ」と泣きながら自分の部屋に逃げてしまった。お母さんが追いかけていって、30分くらいしたら戻ってきた。そして、
「監督さん、うちの子は監督さんのことを好きです。だから大丈夫です」
とおっしゃる。しかし、私は今度お母さんに向かって、
「そんなことは聞いていない。好きとか嫌いとかの問題じゃない」
と、失礼を顧みず怒り始めた。
そこまでしたのは、このままでいったら、駅伝も駄目、アジア大会も駄目になってしまう、冷静に私の言うことを聞くようにしておかなければ、勝てなくなってしまうと思ったからだ。
言葉の端ばしに少しでも生意気な雰囲気が出てきたら危険信号だ。たまにポロッ、ポロッと出てくることがある。
合宿先のボルダーにテレビの取材が来ていて、練習で走っているときに、ピタッと横につけられた。高橋は私に、「監督やめさせてください。あの車、じゃまです」と言うから、「なんだ、その口のきき方は」と、大きな声を出したこともあった。
こんなことが私はものすごく許せない。せっかく遠くから取材に来てくれたのだ。感謝の気持ちがなければ、世界では勝てない。偉大な選手がニコッと笑って迎えてくれるように、大物になれば大物の風格を見せてほしいのだ。
「おまえがどんなに強くなっても、世界一になっても、生意気な態度をとったら見放すぞ」
と常づね言っている。私は生意気になった若者が一番嫌いだ。後輩をいじめたり、威張ったりするヤツだ。
「キューちゃん、マラソンの3分や5分なんてそんなに価値はないんだ。たしかにどこの大会で一番になったということは価値がある。でもマラソンで数分速いということは、調整や条件によって変わるものだからちっとも偉くない。それよりおまえさんたちが、40歳、50歳になって、若いころにかけっこをやっててよかったなと思う、そういう喜びのほうが大事なんだよ」
このような話を聞いてしまうと、やはり、指導者が一番に希求すべきは被指導者の中長期的な幸福であり、そして、一番に指導すべきは躾だ、と改めて思わざるを得ない。
また、躾の要所は、慢心を生意気ではなく、感謝や寛容に昇華させることだ、とも。
被指導者は、指導者に躾けられ、人格が向上するから、眼前の苦労を甘受し、技術の一層の高次化を果たし得るのだ。
P148
どんな強い外国人選手にも恐怖を感じてはいけない
私が言っていることは、誰もが簡単にできることではない。だが、その言葉を素直に聞いて信じてしまうというのは、高橋がまだマラソンというものを知らないからだ。
ノルウェーのイングリッド・クリスチャンセンが、女子マラソンが始まったばかりのころの85年に、2時間21分6秒という世界最高記録をつくった。それから15年近くその記録が破られなかったのは、選手たちがマラソンを知ってしまったからだと思う。
その意味では、クリスチャンセンがあの記録を出したときには、マラソンを知らなかったから出せたといえるだろう。マラソンというものがどんなものか知ってしまったら、怖くて速いペースでは飛び出せなくなるのだ。
それに日本人は、外国人選手が出ると、怖くて前に出られなくなる。ポルトガルのモタさんと走るレースなどは、彼女の前にはおっかなくて出られなかった。しかし、そうではないんだという先鞭をつけたのが、アジア大会での高橋の走りだったと思う。
高橋はそんなことにとらわれない、いい感覚をもっている。日本の女子マラソンも強くなったが、高橋がアジア大会でやったような突破口が大事なのだ。誰かがそれをやらなくてはならない。
だから私はよくみんなに言う。一つの仕事をする場合、こうしなくちゃいけない、ああしなくちゃいけない、などとやっていたら、ダメだと。生意気なようだが、私はいつも言う。「マラソンなんて5000メートルを8本やるつもりでいけばいい」と。
そういう感覚が必要なのだ。走れなくても元々だと思い、どこまでもつかやってみればいい。年がら年中そんなことをやっているわけにはいかないが、そういうことも大切だということはわかっていてほしい。
だがそれをやってみるためには、自分の限界がどこにあるかを知っておかなければならない。それを知る練習をやっておく必要がある。普段やっていないことがレースでできるわけがないからだ。
要するに、「無知の知」ということだ。
「こんなもの」と固定概念を持つことは、対象とする物事の発展、及び、自らのブレークスルーの大きな妨げになる。
「こんなもの」と思ってしまったら、対象とする物事は「こんなもの」を超え得ない。
では、私たちはいかにすれば、固定概念から解放されるのか。
一番は、高橋選手が「とにかく走ることが好きだから走る」ように、物事そのものを好きになることや、好きでたまらない物事をやることではないか。
たしか、40才を過ぎてもなお現役最強棋士と称えられる羽生善治さんは、将棋を始めた理由として、「勝つと楽しいが、それ以前に何回やっても『コツ』がよくわからなかった(→将棋の何たるかに強く魅かれた)からだ」との旨仰っていた。
小出監督の話では、高橋選手はとにかく走ることそのものが大好きかつ本望で、オリンピックでメダルを取ることはその次だった。
そして、有森選手はメダルを取るために「致し方無く」トレーニングを甘受したが、高橋選手はトレーニングそのものを満喫した、と言う。
物事をいつまでも、いかなる時でも好きで居続けるのは決して容易ではないが、「こんなもの」と思う物事に二度と無い時間と体力を投じることほど、人生の徒労は他に無いに違いない。
kimio_memo at 07:14│Comments(0)│
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