2012年09月03日
【BSNHK】「BS歴史館/スーパーティーチャー・吉田松陰~松下村塾は幕末の白熱教室だった!?」齋藤孝さん
【ナレーション】
そして、(吉田)松蔭の死の20年後、初めて伝記を書き上げたのは一人の外国人でした。
「宝島」で有名なイギリスの作家、ロバート・L・スティーブンソンです。
スティーブンソンは、塾生から聞いた話に感動し、「人間」松蔭の姿を、飾らない言葉で綴っています。
「吉田は醜く、おかしな程、痘瘡の跡が残っていた。
衣服はぼろぼろであったし、見苦しいことがしばしばであった。
学問に対する情熱はすごぶる激しかったので、自然の眠りすら惜しんだ程であった」。
そして、こんな言葉で締めくくっています。
「一風変わった教師に対して、生徒は英雄らしさを認めようとしないものである。
しかし、歳月が経ち、吉田の薫陶の意味を益々深く理解し始めると、門弟たちは、この滑稽な教師を人類の中で最も高潔な人物として、追憶するようになった」。
【渡辺真理さん】
(今日出演くださっているゲストの)先生方も捉え難いと仰った吉田松陰。
この伝記をスティーブンソンが書いてるんですね。
(中略)
(吉田松陰の功績は)ウェスタン・スタンダードに近づけるような力にもなっていたという。
【大石学さん(東京学芸大学教授)】
はい。
近代化ですね。
【渡辺真理さん】
そして、伺いたいのが、ちょっと矛盾して聞こえるような、「(吉田松陰は)滑稽な教師で、その人物は人類の中で最も高潔だ」と言っていますけど。
【齋藤孝さん】
教師っていうのは、ある所では「(人から)滑稽だ」(と言われる)位じゃないとね、駄目かなと思うんですよね。
何でかっていうと、やっぱり、溢れるパワーが有るから教師な訳ですよね。
だから、過剰な部分、それはどうしても他の人から見れば、滑稽に見える。
何もかもがですね、最初から過剰な訳ですよね。
それがでも、他の人の魂に火をつけたというのがね・・・
「教師は、内なるパワーが溢れる余り、何もかも過剰で、滑稽に見られて然るべき」。
齋藤孝さんの説は尤もだ。
なぜか。
教師の、もっと言えば、リーダーの本分は、他者を気づきや行動を促すこと、即ち、触発すること、だからだ。
人が他者に触発されるのは、アイデアの内容ではなくインパクトであり、それは滑稽であるほど強い。
リーダーは、滑稽な位で丁度良い。
だから、滑稽に見られないリーダーは、リーダー失格だ。
リーダーに成るほどには内なるパワーが溢れていない、ということだ。
それでもリーダーに成りたければ、満ち溢れるまで、志と問題意識を高めるしかない。
内なるパワーの水位は、絶えず上下して然るべきだ。
★2012年8月30日放送分
http://cgi4.nhk.or.jp/topepg/xmldef/epg.cgi?setup=/bs/detail/2417
幕末の日本に白熱教室があった!長州・萩、吉田松陰の松下村塾。日本が揺れた時代、国の運命や人の生き方を、松陰と生徒は対等に命がけで議論した。今に響く熱血先生物語。
日本を教育の力で変えてみせる! 幕末に、そう挑んだすごい先生がいた。長州・萩、松下村塾の吉田松陰。最新の史料から浮かび上がった松陰の授業は、何と“白熱教室”! 国の運命や人の生き方を、生徒と熱く議論しあった。しかも対等な立場で。高杉晋作や伊藤博文ら幕末・明治に活躍する者たちを次々と輩出した松陰の教室は、どのようなものだったのか? 松陰は、生徒たちに何を伝えようとしたのか? 今に響く熱血先生の物語。
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