2012年06月05日
【経済】「サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件」山口義正さん
P187
オリンパスへの揺さぶりはさらに続く。
12月に入ってすぐに仕掛けたのは、ウッドフォードだった。
取締役の辞任を表明するとともに、委任状争奪戦を始めると宣したのである。
ウッドフォード側は社長を解任されて数日後には早くも委任状闘争を視野に入れていたから、第三者委員会の調査報告書の発表や、第2四半期決算の発表をにらんで、満を持していたに違いない。
ウッドフォードが用意したプレスリリースには「オリンパスのためであれば、私はいかなる犠牲をも厭わない覚悟です:と記されている。
「日本人は名誉を重んじると言われながら、大抵の人は重大な場面になるとどこかで腰が引けてしまう。
無難な落とし所を探そうとするんだな。
しかし欧米人はそういう時には徹底的に闘うから」ーー。
私は自分の知恵袋になってくれた大手証券患部社員の言葉を思い出していた。
P202
ウッドフォードは委任状闘争を断念する理由について改めて説明してくれた。
すでに気持ちがサバサバしているのか、ウッドフォードはくつろいだ様子で淡々と語る。
株式の持ち合いが強固で、大株主であり主力銀行でもある三井住友銀行などの協力がどうしても得られないこと、これ以上の闘いに家族が反対していることなどが、その理由だった。
この席でウッドフォードが少しだけ感情を込めて私に尋ねたことがある、
「日本人はなぜサムライとイディオット(愚か者)がこうも極端に分かれてしまうのか」
身の危険を顧みずに不正を追求しようとするサムライもいれば、遵法精神に欠け不正を働いたり、何の疑問も持たずにこれを幇助したりするイディオットもいる。
あるいは不正を働いた企業側に回って正論に耳を塞いでしまう金融機関もイディオットに分類されるかもしれない。
私はついにウッドフォードの問いに答えられなかった。
両極端に分かれてしまう理由を並べ立てようと思えばいくらでも並べられるだろう。
しかしどんな答えを並べても、ウッドフォードを納得させられるとは思えなかったからだ。
P205
オリンパスの上場維持の適否を発表するとして、東京証券取引所は1月20日午後六時半から記者会見を開いた。
(中略)
東証の判断は果たして上場維持だった。
一連の不正が一部の関与者だけによるもので、主要な事業部門に直接の関係がなかったこと、事業の経営状況には影響が及ばない形で進められ、売上高や営業利益におおむね影響を与えていないことーーなどが上場維持の理由だった。
もちろんオリンパスの訂正有価証券報告書で債務超過ではないという結論が出ていることも、上場維持の判断につながっている。
一方、オリンパスには、上場契約違約金1000万円を支払うとともに、特設注意市場銘柄に指定して内部管理体制確認書の提出を求め、三年以内に改善されなければ上場廃止となるというペナルティが加えられることになった。
早い話が執行猶予のついた有罪判決という軽い処分でオリンパスを救済したということだ。
(中略)
堀江貴文が率いた旧ライブドアの粉飾決算が一期で50億円の経常利益水増しで上場廃止となり、堀江が獄中生活を送っているのに対し、オリンパスは約20年もの間、1000億円を超える自己資本の水増しを行なっていたこととバランスが取れないのは明らかだった。
長年にわたって財務内容を偽っていたのだから、その間の株価形成を歪め、国内外の多くの投資家の判断を誤らせて大損させたのは言うまでもないが、東証は「投資家の判断が著しく歪められていたとは認められなかった」と無理のある結論を導いた。
P211
もう一つの疑問は、「オリンパスは本当に債務超過ではないのか」である。
(中略)
ウッドフォードもやはりのれん代は過大に計上されていて、処理の仕方によってはオリンパスは債務超過になりかねないという認識なのだろう。
しかし新日本監査法人はオリンパスの訂正有価証券報告書の作成に当たってその償却を最小限にとどめて適正意見をつけ、隠し損失分を貸借対照表に反映させただけだった。
(中略)
のれん代の償却問題がほとんど手つかずのまま残ってしまったことで、オリンパスの財務面からみて先行きは不透明だ。
今後、株主代表訴訟などでオリンパスが賠償金の支払いを求められる公算は大きく、これも財務上の負担としてのしかかるだろう。
増やしに増やして損失と垂れ流す子会社群の整理を進めなければならないが、関係会社整理損などの特別損失が自己資本をさらに減らしてしまう懸念だってあるだろう。
他社が資本注入する際のデューディリジェンスで、これらが問題となって再浮上することはないのか。
これでは日本の経済社会全体がオリンパスに再度粉飾決算を是認し、黙認したようなものだ。
こうした判断に、巷間噂されているような政治サイドや中央省庁の意向が働いているとすれば、これは「官製粉飾決算」と言って差し支えない。
日本の経済社会が総ぐるみで過ちを隠し、見て見ぬふりをして口を閉ざすのなら、「これはまるで・・・」と思っていい。
「まるで日本社会がオリンパスになったようなものではないか」と。
そしてこれは、日本が守りたかったのは東京市場の質なのか、オリンパスなのか、銀行や監査法人など関係諸方面のメンツなのか、という問題をはらんでいる。
私はオリンパスが上場廃止になったり、法的整理に踏み切ったりすることを望んでいたわけではないが、東京証券取引所が不透明な形でしかも過去の同様のケースと整合性がつかない形で上場を維持したことは残念だ。
後に悪しき前例として残ってしまうことを恐れる。
P216
しかしわれわれ日本人は、ともすれば「正義」という言葉を口にするときに、多少のためらいや恥ずかしさを心のどこかで感じてしまう。
この気恥ずかしさは何なのかと考えてみて、すぐにわかった。
この恥ずかしさは、正義という言葉が死語になってしまっていることからくるのだ。
何でもいい。
「ナウい」「シティボーイ」「トレンディー」・・・など、死語の数々を日常会話に使ってみたときの滑稽さは、正義という言葉を使ってみたときの恥ずかしさによく似ていることがわかる。
あるいは青臭さからくる気恥ずかしさに通じているのかもしれない。
いまどきテレビの特撮ヒーローだって正義なんて言葉は使わない。
正義とは日本人にとって失われつつある価値観なのだ。
ひょっとすると正義よりも、逮捕された菊川や横尾らの隠れて不正を働いてしまう価値観の方が日本人にとってより親しみやすい友人なのだろう。
「日本人はなぜサムライと愚か者がこうも極端に分かれてしまうのか」。
マイケル・ウッドフォード元オリンパス社長のこの問いの答えは何か。
私は二つ直感した。
一つは、「日本人は凡そ『右へ倣え』だから」だ。
愚行の多くは楽で、誘惑的だ。
かつてツービートは、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とのギャグで私たち日本人の心を鷲づかみにした。
私たちの多くは、水戸黄門を、ひいては、葵の御門や免罪符の類を愛好、欲求している。
楽で誘惑的な愚行は、時と共に、「みんなそうだ!」、「みんなだってやっている!」との免罪符を得、済し崩し的に容認、拡散されている。
もう一つは、「日本は善悪の判断を歪める、ひいては、劣化、無意味化、無頓着化する環境に富んでいるから」だ。
例えば、スピード違反の取締りは、専ら事故発生確率の低い、交通量が少なく見通しの良い直線路で行なわれている。
捕まったドライバーは、不運と不条理を嘆くだけだ。
「サムライ」は、筆者の山口義正さん曰く「信念を持って正義や美意識を貫こうとする人物(P216)」だが、その存在はそもそも一握りな上、昨今の益々の受難で絶滅に瀕している。
kimio_memo at 07:25│Comments(0)│
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