2012年05月21日
【観戦記】「第70期名人戦七番勝負〔第2局の13▲羽生善治王位挑戦者△森内俊之名人〕羽生もがっちり1勝」上地隆蔵さん
森内(俊之名人)の目から闘争心の火は消えていた。
残ったフルーツのおやつを一口含んだ。
もぐもぐと静かに食べた。
羽生(善治挑戦者)の指の奮えが依然止まらない。
▲4三歩成を着手する時、(森内側の)3四の歩に触れて大きくゆがんだ。
震える指先で一応直すが、戻らない。
普段の森内なら几帳面にすぐ直す。
相手に自分の駒を触れられるのは面白くない。
しかし敗戦が決定的となった今、瑣末な駒のゆがみなどどうでもよくなったか、しばらく放置された。
それでも耐え切れなくなり、最後には森内がチョン、チョンと駒の向きを整えた。
羽生はひたすら盤上に集中していた。
羽生に▲4七銀(終了図)と指されて、森内は水で喉を潤した。
投了を告げるときに、声が枯れないようにという敗者のたしなみだ。
しばらくして森内は明確な声で「負けました」と投了。
羽生も一礼を返す。
そして高揚した心を鎮めるようにコップの水を飲んだ。
「棋譜を汚さない」。
本事項こそ、将棋に対する心情態度の内、アマとプロ棋士を分かつ最たるだ。
プロ棋士が私たち俗人と異次元の高潔さを持つ主因は、勝利や名誉といった自己利益より、将棋という伝統文化を重視しているからだ。
そして、だからこそ、彼らは、それを汚さぬよう「棋譜を汚さない」のだ。
平生、森内俊之名人が盤上の自分の駒の乱れを放置できないのも、根本は同じで、ご本人の几帳面さという資質は二の次ではないか。
然るに、森内さんが、本局の終局間際で、短時間とはいえ、盤上の自分の駒の乱れを放置なさったのは、敗戦必至による闘争心や意気の消沈とは異なる、俗人には推量不能な因果ではないか。
そもそも、森内さんのようなトップ棋士は、もはや闘争という心情とは無縁ではないか。
彼らは、同朋との無言の対話が至福の、永遠の名棋譜創造者を自負しているのではないか。
そして、だからこそ、私たち俗人は、かくなる高潔者の永遠の追っかけに甘んじているのではないか。
★2012年5月19日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/