2011年12月29日
【フジ】「ボクらの時代」毒蝮三太夫さん
【高田文夫さん】
(毒蝮三太夫さんが立川談志さんと)50何年付き合った友だちっていうのは凄いよ。
【立川志らくさん】
他にね、居ないですものね。
【毒蝮三太夫さん】
いや、居たんですよ。
昔から彼の傍に沢山群がって。
だけど、みんな居なくなっちゃう。
【高田文夫さん】
あの師匠だよ、大変だよ、付き合うの。
前、(毒蝮三太夫さんと)呑んで訊いたことあるけどね。
「嫌なこと無かったの、談志師匠のこと?」って。
「うん、三回だけ殺意芽生えた」って。(笑)
(毒蝮三太夫さんは)言ってたもん、酔っ払って。(笑)
その位の付き合いだからね。
【毒蝮三太夫さん】
で、全部未遂だって。(笑)
【高田文夫さん】
未遂だったんだよなー。(笑)
【毒蝮三太夫さん】
(立川談志さんとは)同輩でしょ、俺。
同じ年だから、腹立つことはあるよ。
快適な奴じゃないもん。(笑)
私は、幼い時分、剣道を習った。
剣道で学んだことの一つは、人付き合いの極意(笑)だ。
私は、人付き合いをする際、とりわけ以下の三事項を留意、励行してきた。
一つ目は、「自分から、相手の間合いに入ること」だ。
相手の間合いに「自分から」入らなければ、自分が相手を斬る、相手に勝つことはない。
人付き合いは勝負ではないが、自分が相手から何らか得たいのなら、自分から相手の間合いに入らなければいけない。
二つ目は、「深く、相手の間合いに入ること」だ。
相手の間合いに「深く」入らなければ、相手から得られるものが無いか、得られても知れている。
自分が相手から貴重な、稀少な、有意義なモノを得たいのなら、相手の間合いには「深く」入らなければいけない。
三つ目は、「刺し違える覚悟で、相手の間合いに入ること」だ。
相手の間合いに「刺し違える覚悟で」入れば、相手に斬られる、負かされる可能性は高くなる。
また、恐れおののかれ、逃げられる可能性も生じる。
しかし、これらの可能性を賭して相手の間合いに「刺し違える覚悟で」入ると、何人かに一人は同様の覚悟で応えてくれる。
人と掛け替えの無い知見、感情の機微を交わしたいのなら、相手の間合いには「刺し違える覚悟で」入らなければいけない。
私は、以上を留意、励行し、これまで全ての人と付き合ってきた。
しかし、今回、毒蝮三太夫さんが、殺意を三度覚えながら、半世紀かつ終生立川談志さんと親交を続けられたことを知り、少なくともあと一つ有ると直感した。
それは、「突き詰めずに、相手の間合いに入ること」だ。
毒蝮さんが覚えた殺意の一度は、電車のホームで談志さんを線路に突き飛ばす形で発露したようだが、未遂に終わり、毒蝮さんは談志さんに「洒落だ」と弁解なさった。
「洒落だ」と弁解された談志さんは、それ以上毒蝮さんに反駁できなかったに違いない。
諸行無常の人生で人と永く付き合いたい、一期一会を全うしたいのなら、相手の間合いに「突き詰めずに」入らなければいけない。
【立川志らくさん】
のべつ「死にたい、死にたい」って言っていた師匠だけども、自分がもう病気になって苦しいのに、「早く殺せ」とか、「死にたい」とか一切言わなかったそうですね。
とにかく生きようとしたってことは(家族の人は)言ってましたね。
【毒蝮三太夫さん】
だから、「死にたい」とか(口癖の如く)言うような奴は、まだ生きたいんだよな。
生きたい奴は、言うんだよな。
だから、本当に死が近づいてきたら、そういうことも言わなくなる。
これは、太宰治を除き(笑)、真理に違いない。
「死にたい」というのは、自我の解放や他者の憐憫を企図した甘えだが、「死ぬこと」が人生のオプション(選択肢)、それも、数多のオプションの一つだから言える言葉だ。
「死ぬこと」が唯一解になれば言えない、少なくとも、口癖のように、人に聞こえよがしには言えない言葉だ。
オプションの過剰保有が寄与する不幸は、当人より周囲の方が、迷惑で大きいのかもしれない。
※2011年12月25日放映分
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/jidai/
http://bit.ly/jJAkxk