2011年12月09日
【邦画】「ひとごろし」(1976)松田優作さん、高橋洋子さん
【およう/高橋洋子さん】
あなたには、お嫁さんがいらっしゃるんですか?
【六兵衛/松田優作さん】
私にですか?
私みたいに腰抜けで、臆病な者の所に来てくれる人など居ませんよ。
【およう】
でも、居るかもしれません。
【六兵衛】
ないない。
あるわけがない。
【およう】
でも、好きな人の一人や二人は居たんでしょ?
【六兵衛】
そりゃもう、この年ですから、憧れた人は居ましたが、でも、私などを相手にする物好きな娘さんは、一人も居りませんよ。
【およう】
ずいぶん、馬鹿なご家中だこと。
何も、武芸にばかり強いのが、お侍さんの資格じゃないのにね。
【六兵衛】
お嬢さん。
世間ではね、からかわれる人間が必要なんだと、私は思うんです。
どこでも一人位は、臆病者と呼ばれても怒らないような人が必要なんだと、私は思うんです。
成る程、揶揄は「される」が勝ちだ。
なぜなら、私たちはみな、来たるべき「死」を臆した「臆病」という病を患っているからだ。
この病は完治はできないが、自分を棚に置いて他者を揶揄することで、緩和はできる。
だから、世間には、「臆病者と呼ばれても怒らない人」、「他者の臆病者呼ばわりを容認、甘受できる人」が必要であり、そうした人は勝ちだ。
私が本作品を観るのは今回で十数回目だが、この台詞にかくも感動したのは、今回が初めてだ。
私の臆病が重篤になったためか、はたまた、年を取り、人の心情や世の真理に敏感になったためかは、正に「神のみぞ知る」ことだ。(笑)
kimio_memo at 07:19│Comments(0)│
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