2011年12月02日
【観戦記】「第70期名人戦A級順位戦〔第23局の2▲佐藤康光九段△羽生善治王位〕新しい試み」関浩さん
しばらく定跡化された手順が続く。
ざっと流れを追ってみよう。
(中略)
前例は6局あって、後手の5勝1敗。
後手有望の分かれと見ていいが、(本局の先手番の)佐藤(康光九段)には温めて対策があった。
本日終了図の▲3七桂だ。
(中略)
つまり、佐藤は▲3六銀の1手を省いてみようと考えた。
「必要は発明の母」という。
「省略の発想は新手の母」といえる
「省略の発想は新手の母」というのは、成る程言い得て妙だ。
私たちは、物事を取り込む、抱え込む、増やすことは得意かつ日常的だが、それらを解き放つ、捨てる、減らすことは甚だ不得意かつ非日常的だ。
そして、厄介なことに、後者は概して、持続的な成長、成功のための改善、変革の妨げになる。
後者を旨とする佐藤康光九段の▲3七桂の試みが本局の勝利に繋がるか否かは不明だが、「棋士佐藤康光」の持続的な成長、成功を必ずや後押しするに違いない。
しかし、なぜ、私たちは、後者が殊に不得意かつ非日常的なのか。
一言で言えば、前者はデフォルト(既定)になり易いからだ。
私たちは「思考」が不得意かつ嫌いだ。
物事を考えることは、何も考えずに行動することの何倍も心身を疲弊させるからだ。
だから、私たちは、「それは(考えるまでもなく)そんなものだ、やるものだ」と物事を既定することを選好し、得意かつ日常的にする。
さらに、一旦既定した物事を解除することに、強い喪失感や不安感を覚える。
既定した物事を維持した時の長短所は予測可能だが、解除した時の長短所は実行してみないとわからない所が多く、予測困難だからだ。
私たちは、予測困難な「明るい」未来よりも、予測可能な「暗い」、でも、「程々の(=真っ暗ではない)」未来を選ぶものだ。
では、なぜ、佐藤さんは、後者を実行できたのか。
「デフォルトにこそ、成長や成功の抑止元凶が潜んでいる」。
「デフォルトにこそ、成長や成功のタネが転がっている」。
佐藤さんが、これらを心底心得ておられるからではないか。
また、それ以上に、「もっと勝ちたい」、「もっと強くなりたい」と不断に切望なさっているからではないか。
「不断の成長、成功願望は新手の聖母」に違いない。
★2011年12月2日付毎日新聞朝刊将棋欄
http://mainichi.jp/enta/shougi/