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2011年11月20日

【将棋】「将棋世界2010年12月号/鬼六おぼろ談義〔第一回〕天才棋士たちとの思い出」団鬼六さん

P83
私は昔から将棋を愛すと同時にどういうわけか棋士が好きだった。
何故、棋士が好きかというと棋士には大人の世界の悪徳的なものから解放された幼児性があるからである。
囲碁にしろ、将棋にしろ、それぞれの棋士は碁を打つ、将棋を指す、という専門部分のみに価値があるのであって、その棋士から専門的部分を取り除いて価値づけようとすると、万事、全て素人くさくてまるで値打ちがない。
その世事に疎いということ碁、将棋抜きではこの棋士は語れない、ということが棋士というものの魅力に感じられたものだ。
とにかく小学校、中学校時代から奨励会に飛び込んで、将棋一筋に育ってきている人間というものは何か大人になり切れない子供っぽさを持っているものである。
俗世界に毒されてしまった私などは彼らと接することで、ふと魂の安らぎを感じることもある。
大人の世界に加わる前の自由で奔放な少年時代を若い棋士、いや、中年棋士、いや老年棋士からも充分嗅ぎとることができるのだ。
メンコやビー玉に熱中していた子供の時代というものが、やはり人間の黄金時代だと私は思っている。

私には七才離れた兄が居る。
彼は、私とは異なり頭が大変良く、将棋に長けていた(→囲碁もだがw)。
私は小学生時分相手を強いられ(笑)、彼には全く勝てないものの、高校を卒業する頃にはソコソコ(笑)強くなった(→最高で将棋会館道場初段位)。
大学入学後は酒、オンナ、クルマ、音楽、仕事に追われ(笑)全く指さなくなり、羽生善治さんと「羽生世代」の台頭ぶりを報道で見聞きする程度になったが35才頃、たまたま出先でウン十年ぶりにNHK杯の対局を見た。
選民の極みの一つであるプロ棋士が、厳しい制約条件のもと、交互にミスを繰り返しながら最後まで希望を捨てず最善努力に励むさまに人生の抽象を見、強烈に感動した。
そして、以降、時間の許す範囲で熱心に(笑)プロ棋士の対局と彼らの生き様を解析、愛好するようになった。

年をとってから将棋を愛好する人、愛好を募らせる人は、決して少なくない。
本エッセイを書かれた団鬼六さんも、自他共に認めるその一人だ。
団さんは、年をとってから将棋にのめり込み、肉体的かつ経済的に余裕がみなぎっていた時分は、六段位の強豪アマチュア棋士として腕を鳴らしただけでなく、プロ棋士に加え、プロ棋士志望者(奨励会員)、アマチュア棋士、はたまた、アマチュア棋士を支援していた雑誌出版社まで非常に広く、深く交流、支援なさった。

私は、団さんが将棋を愛好するようになった端緒、終生愛好し続けた理由を理解していない。
しかし、本エッセイを読み、団さんがプロ棋士を終生愛好し続けた理由を理解し、深く共感した。
そうなのだ。
ヘボかつ凡人の私がプロ棋士の将棋を愛好するのは、先述の通り、非凡の彼らが困難状況下、自分が繰り返しおかす過誤、並びに、勝利に絶望しない生き様、てん末に感動を覚えるからだが、それは私が俗世間で年を重ねるなか不本意に失ってしまった、高純度かつ不器用さを免れない幼児性、ひたむきさ、愚直さを彼らが依然保有し、 私に見せつけてくれる、そして、私に心地良い懐古、叱咤、嫉妬を与えてくれるからなのだ。



将棋世界 2010年 12月号 [雑誌]
毎日コミュニケーションズ
2010-11-02




kimio_memo at 07:52│Comments(0) 書籍 

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