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2011年10月18日

【小説】「悪道」森村誠一さん

P401
人間は宿命という檻の中で競り合う動物であり、人生とは、その一つ一つが繰り返しの利かない試みなのであろう。

成る程かつ同感だが、果たして宿命の存在を認識して日々人生を送っている人がどれだけ居よう。
殆ど居ないのではないか。
私たちの多くは、自分に何らか宿命が有るなどつゆも考えず、ひたすら眼前の些事に脊髄反射して日暮らししているのではないか。

宿命の存在を認識している人と認識していない人を分かつものは何か。
一つは、問題認識の有無と強弱ではないか。

先程「些事」と述べたが、本来物事に些事など無い。
なぜなら、眼前に現れる物事には、ポジティブかネガティブかは別として、全て相応の発生理由が有るからだ。
発生理由がポジティブな物事は全て「希望」であり、ネガティブなそれは全て「問題」である。

では、なぜ、私たちの殆どは、発生理由がネガティブな物事を、問題ではなく些事と日々認識しているのか。
一つは、諦観から他人事と受けとめているからだ。
私たちが問題を問題と認識できるか否かは、眼前に現れる物事を悉く自分事と認識できるか否か、そして、発生理由の理解を試みる習性が有るか否か、有るならそれが強いか否か、に帰結する。

宿命とは一生を捧げる旨独断した問題解決の対象であり、眼前に現れた問題を悉く問題と認識したてん末である。
その存在は自分で宿す、自分で認識するものであり、他者から与えられる、知らされるものではない。
私たちは、宿命の存在を認識し、甲斐に満ちた人生を送りたければ、先ず眼前の問題をしかと問題と受けとめるのが賢明ではないか。



悪道 (講談社文庫)
森村誠一
講談社
2012-12-21




kimio_memo at 07:24│Comments(0) 書籍 

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