2011年10月07日
【特別講義】「ブログ起業論」松山真之助さん

人は、知らず知らずの内に、自分を何らかの「枠」や「殻」に閉じ込めている。
そこから「脱却する」、「shiftする」のは、非常に有意義だ。
(中略)
自分の物理的、精神的立ち位置を「こっち側」から「あっち側」へshiftすること。
これが「『所属』shift」だ。
たとえば、タモリは、かつてこう言った。
「テレビは見るものではなく、出るものだ」と。
たしかに、人間は情報を受信する一方だと腐ってしまう。
情報を「受信する側」より「発信する側」の方が、断然面白いものが見える。
これはテレビ(メディア)だけでなく講演も同様だ。
「講演する側」にshiftできなければ、「主催する側」にshiftすればいい。
「何かお手伝いすることはありませんか?」とアプローチすれば、「主催する側」にはいくらでもshiftできる。
「受講する側」より「主催する側」の方が断然面白いし、得られるものも多い。
また、ガンジーは、ピストルで撃たれ瀕死の折、こう言った。
「私はあなたを許す、私が自由になるために」と。
たしかに、他者をかくも「許す」には自分を他者より一段高いレベルにもっていく必要があり、容易ではない。
しかし、実現できれば、感情のコントロールがとても上手く、有効にできる。
たしかに、人間には、自分の物理的、精神的立ち位置を「こっち側(≒この程度の人間)」と規定してしまう、そして、「あっち側(≒あのような素晴らしい人間)」を自分とは遠く離れた無関係な位置と確定してしまう習性がある。
この習性は多分に、マズローが言う人間の根源欲求の一つである「所属欲求」に基づくものであり、抗うのは容易でない。
では、タモリさんやガンジーさんは、いかに抗い、「『所属』shift」を果たしたのか。
タモリさんは、偶然人づてに「面白いヤツだ!」と赤塚不二夫さんに見出され、赤塚さんのマンションに居候し、テレビに出るようになった。
そこで、タモリさんは、テレビに出る面白さ、掛け替えの無さを思い知った、味をしめたのではないか。
ガンジーさんも、同様に、偶然何かで他者を「許す」ことを経験し、そこで得られる精神の自由の有り難さ、掛け替えの無さを思い知った、味をしめたのではないか。
恋愛はよく「事故」や「出会い頭」と表され、その偶然性を積極的、能動的に評価、受容した人だけが経験できる人生の妙味だが、「『所属』shift」も同様ではないか。
★2011年10月6日明治大学1085教室にて催行
※上記内容はいずれも意訳
http://blog.canpan.info/meiji_venture/archive/201
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