2011年09月26日
【将棋】「将棋世界2011年10月号/リレー自戦記」村山慈明五段
P91
終局後は担当記者と軽く飲みに行き、その日のうちに帰宅。
次の日は羽生さんとの研究会が控えていた。
大一番(※第52期王位戦挑戦者決定リーグ白組プレーオフ/VS羽生善治ニ冠)に負けた翌日に「よく行くね」と何人かの関係者に驚かれたが、そもそも行かないという発想がない。
羽生さんと将棋を指すのはいつでも楽しい。
4人総当りの研究会なのだが、この日は3連勝することができた。
なぜ、関係者は、大一番である本局(※第52期王位戦挑戦者決定リーグ白組プレーオフ/VS羽生善治ニ冠)に負けた村山慈明五段が、翌日に予定されていた研究会へ行く意向を「依然持ち続けている」、「断念していない」ことに驚いたのか。
一番考えられる理由というと、「大一番で負けて意気消沈しているから」であろう。
次に考えられる理由というと、「行こうとしている研究会が、大一番で負けた相手の羽生善治さんが主催する羽生研だから」であろう。
この次に考えられる理由というと、「研究会に参加しているのに大一番で負けてしまい、研究会へ行く張り合いが無くなったから」といったところか。
しかし、これらは、私たち凡人特有の「下衆の勘ぐり」だ。
村山さんが、「そもそも」という強調の意の副詞を付してこれらを根本から否定なさったのは、そういうことだ。
村山さんは、そもそも、対戦者の羽生さんと同様、棋理の究明と棋力の向上を一番の目標および動機として将棋を指しておられるに違いない。
そして、全ての対局を「掛け替えの無い大事な対局」、即ち「大一番」と認識し、もはや「大一番」という感覚を失っておられるに違いない。
「下衆の勘ぐり」は、自らの下衆さを強化、周知させること、ならびに、自らの成長を停止、抑止させることと同義で、「自己崩壊の誘い水」だ。
「下衆の勘ぐり」は、忌避、断絶するのが賢明だ。
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