2011年09月24日
【人物】「団鬼六論」堀江珠喜さん
P213
今回初めて、活躍中の作家についてまとめることになり、当然ながら前述の恩師の言葉が頭に浮かぶとともに、もうひとりの恩師(で、こちらは御存命の)野口武彦先生が、『三島由紀夫の世界』(1968年12月)を上梓し、三島の機嫌を損ねた話も思い出した。
(中略)
本書が、実は鬼六先生へあてた筆者の長い長いラブレターだと思っていただければ(思えるわけないか?)嬉しい。
(中略)
偉大な者には「記録係」が必要なのである、
ただし、我らが鬼六先生は「初歩的だよ」でも「No Sir(いや君)」でもなく、「アホか!」を連発なさるのだが、それがまた愛すべきキャラクターを形成している。
偉大者の記録が必要なのは、歴史の編纂が必要なのと同義だ
しかし、偉大者を記録するのは、通例、「対象者より偉大でない者」、つまり、「劣等者」が行なうのが常だ。
恐縮ながら、堀江珠喜さんが本書で団鬼六先生の半生を記録なさったのも、そういうことだ。
なぜ、劣等者は、自分との間に厳然たる劣等性を痛感してもなお、偉大者の記録を欲するのか。
一番目の理由は、堀江さん自身も吐露なさっているが、対象者を唯一無二の偉大者としてだけでなく唯一無二の人として、この上ない敬愛、憧憬を知覚しているからではないか。。
二番目の理由は、唯一無二の偉大者に出会い、同時代を生きられたことに、この上ない有り難さ、謝意を知覚しているからではないか。
三番目の理由は、唯一無二の偉大者の「歴史の証人」になることで、自分の劣等性が癒され、劣等者の自分の存在(意義)が未来永劫社会的に肯定される不遜な期待を知覚しているからではないか。
だから、不肖の私も、羽生善治さんの言動と所感を、労を惜しまずブログに記録しているのではないか。(笑)
kimio_memo at 09:59│Comments(0)│
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